発達障害のいま

杉山登志郎

 

 

 

9月5日 かほく市議会定例会

一般質問で

 

わたしは 「発達障碍児の支援」

について質問させていただきました

 

※わたしは障害ではなく 障碍とあえて記しております

 

 

発達障害者支援法という法律に伴い

現在は 全国 都道府県 各自治体に

支援センターを設けることになっています

 

かほく市にも

市役所のお隣のほのぼの館に

子供発達障害支援センターが設置され

子育てに悩む保護者さんの

ご相談にのっていただけるようになっています

 

窓口は ちゃんと「開設」

されているんですが

そこに 入れない入りにくいという状況

 

人の心理

 

目の前のお料理

「食べてもいいよ」

と言われても

 

遠慮することありますよね

「いいえ いいです」

 

イメージしていただけるとわかると思うのですが

遠慮するときは どんな時ですか?

 

わたしも いろんな方に

様々なシチュエーションがありますが

例として 最近は

 

市役所の職員さんに

「FBのお友達更新 コメントしてね」

と 窓口を開けて自ら空けておりますが

(わたしのFBは全開にしております

お友達限定にしておりませんので

どなたも見れるように開放してあります」

 

だいたいの職員さんは

「いえ いいです」

とご遠慮なさる

 

※職員さん 今日も見てますか?

 

逆に わたしもそういうことあるんですよ

人の事は言えないもので

 

「いえいえ ご遠慮します」

という場合の自分はどういう時なのか

考えてみたんですよね

 

遠慮

言葉や行動を控えること

辞退すること ある場所から引き下がること

@国語辞典より

 

遠慮とは 気を使っている行動に聞こえますよね

 

ところが その裏側に

「受け取ることを 拒む」

という 心理が見えるワケです

 

日本人は 「気づかい」の文化ですので

ご遠慮するって 美しさなのかもしれませんが

 

時に 用意したものを利用しないというのは

与えた側としては 残念な気持ちになることもあります

 

拒む 理由は様々でありますが

 

一つに 罪悪感というのがあるんですね

 

これは わたしの事例ですが

息子を育てる中で

育てづらさ があった時

薄々 「発達障碍かも・・・」と感じていながら

それを受け入れようとしないわたしがいました

※長男 AS+ADHD です

 

気づいているくせに 拒む

キレイな言葉でいうと 遠慮していたということ

 

がしかし

なんか それって 親のエゴだなぁと

思ったんですよ

困っているくせに 「いらない」という理由

 

罪悪感です

 

もし そうだったならば・・・

いろんなことを考えると

診断に踏み切れないんですが

 

そうこうしているうちに 息子は大きくなるワケで

わたしのエゴよりも

この子を自立させるためには

何が必要なのかを考えて

わたしは かほく市役所の健康福祉課に

自ら相談にいきました

(そこまで行くのに かなり自分の中で葛藤ありました)

※当時は まだ 子供発達障害支援センターはありませんでした

 

おかげさまで 紆余曲折しながら

ただいま 息子は 高校生になりました

 

診断を受けて 療育を受けて

子育て支援課

学校教育課

にも支援をしていただきまして

今があります

 

支援を受けることを 遠慮する必要はないです

それは 親であるわたしの問題ではなく

 

困っているのは「子供本人」であることを

忘れてはいけないんです

 

用意されているものを 利用する

遠慮しないで(拒まないで)

受け入れると道は必ず開けます

 

一般質問でも 発言しましたが

困っている 都合が悪い ハンディがある

ところは サポートを受けることは当然なんです

 

視力の良い わたしは

だんだん老眼が進行しておりまして

今じゃ 老眼鏡がないと生活できません

 

老眼をかけることを遠慮していると

生活に困るんですよ

 

実はそれと同じこと

 

子供発達支援センターに

相談しにいくことを躊躇される保護者さん

お気持ち 十分お察しします

 

窓口の在り方 スタイルにも

まだまだ 課題があると わたしは思いますが

 

与える 受け取る

双方があって成立する

そして 円滑にサポートが進む

 

わたしとしては 利用しやすい環境づくりと

利用することをお勧めする啓発活動

どちらも必要だと思います

 

気になる方は 一声おかけください

一緒に 悩んで考えていきませんか