かほく市立宇ノ気小学校

西田幾多郎先生の胸像

 

世界の哲学者 西田幾多郎先生

かほく市のお生まれです

 

バスガイド時代

旧宇ノ気町(現在 かほく市)を

案内するときは

西田幾多郎先生の説明は必須でございまして

今でも 案内文は

頭に叩き込まれています

 

善の研究 善の研究
 
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善の研究
(西田幾多郎)
 
西洋哲学ではなく
日本人の視点から
独創的でその時代の哲学界に
衝撃を与えた哲学本
 
一社会の中にいる個人が各充分に活動して
その天分を発揮してこそ、始めて社会が進歩するのである。
個人を無視した社会は決して健全なる社会といわれぬ
(第三編第十二章「善行為の目的(善の内容)より)
 
↑の意味は わたしの解釈ですが↓こちら
 
ひとりひとりに与えられた能力や性質が
十分に発揮され いきいきとした
「その人らしさ」が生かされてこそ
社会の進歩に不可欠である
すなわち 個人個人が進歩しないと
社会の進歩はありえない
なぜなら「人間」とは「社会の中に生きる存在」
であるということ そして
「社会」もまた「人間」によって形づくられるもの
であるからだ
 
という理解だと思うんですね
 
わたしも 個性的な一人の人間ですがですが
時に 落ち込むことだってあります
傷つくこともあります
 
そういうと 
「え?さわこさんが?」
という人がいましたが(笑)
 
あるんですよ~ だって人間ですもん
 
わたしの悪い癖で
失敗すると
反省と称した
過剰に自分を責める
ということをするんですね
 
反省って するといいんですが
やりすぎると 自己否定になりまして
やってることに対して
また 失敗してしまうんじゃないかと
今度は 「恐れ」と「後悔」に変わるんですね
 
持つべきは 友でして
そんな わたしにこんな言葉をかけてくれました
 
「さわこ それは 失敗じゃなくて 検証や」
 
検証
実際に物事に当たって調べ、 仮説などを証明すること
直接現場 の状況や人・物を観察して証拠調べをすること
@国語辞典より
 
なるほど
 
検証とは

感情論ではなく

論理的に上手くいかなった原因を分析して

「では、どうすれば上手くいくか?」または

「可能性」に意識を向けることなんですね

 

救われた

 

西田幾多郎先生の善の研究にある

 

>一社会の中にいる個人が各充分に活動して
その天分を発揮してこそ、始めて社会が進歩するのである。
個人を無視した社会は決して健全なる社会といわれぬ

 

わたしらしさ 個性というものを

大切にしていくということは

わたしたち自身も 他者の個性を認めていくこと

だと思うんですね

 

そして 自分の個性も認める

 

それが 否定ではなく 検証

 

検証していくとですね

面白いことに

次の行動が変わるんですよ

しかも 建設的に

 

落ち込んで反省してる暇あったら

検証せよ

 

だって 同じ間違いはしなくなるでしょ♡

 

かほく市出身の西田幾多郎先生の功績に

泥を塗らないように

善の研究の思想を胸に

また 頑張っていくのであります

 

 

>個人を無視した社会は決して健全なる社会といわれぬ

↑これ ホントね♡

 

さすが 西田先生でございます

 

最近の 善の研究は

現代口語訳になっていて

読みやすい本が出ておりますので

気になる方は是非手に取られてみてください