今日は 宇ノ気小学校で行われた

世界の哲学者 西田幾多郎先生

献花式に 出席してきました

 

6月7日は 西田先生の命日で

寸心忌(すんしんき)と言います

(今年で没後 72年)

 

先生の功績をたたえ

母校である宇ノ気小学校の前庭には

「無」の字を刻んだ

頌徳記念碑があります

(昭和25年設立)

 

寸心というのは

 

「一人一人に心がありますよ」

 

という意味でという理解

 

うちの息子もかほく市育ちでございますので

小学4年生の時

「寸心読本」という冊子を

学校からもらってきました

 

「小さな心だと 小さな事しか起こらない

一人一人が大きな心を持つと

大きなことがなしえますよ」

という 西田先生の教えが凝縮されている冊子です

 

寸心 とは 西田先生の居士号になります

 

宇ノ気小学校前庭には

西田先生の胸像があります

 

献花をさせていただいて

宇ノ気小学校6年生の

「西田先生を讃える歌」

を聞かせていただきました

 

西田幾多郎の遺徳しのび献花式

↑北國新聞ニュース

 

午後からは

西田幾多郎記念哲学館で行われた

学童話し方大会にも出席

 

各小学校代表の

わたしの夢や希望そして思いを

じっくりと聞かせていただいました

 

お懐かしい再会もありまして

(息子の小学校時代の担任の先生)

 

わたしの近所のお子さんも

壇上に上がり立派に

ご自身の「思い」を伝えていただきました

 

子供たちの思いは

ちゃんと 西田先生の後を継ぎ

まさに 寸心

 

一人一人に心がある

その心を大きく持つことの

大切さ

 

彼彼女たちの体験を通した学びと

自分の心の中にあるものを

あるがままに言葉で表現することは

(しかも大勢の前で)

容易なことではありませんが

 

かなり練習されてきたのか

素晴らしいお話

素敵なお話を伺えました

 

最近 涙もろくなり・・・

思わず 涙腺が緩むお話もありました

参加してよかった♡

 

 

ひとはひと

われはわれなり

とにかくに

わがゆくみちを

われはゆくなり

 

西田幾多郎

 

哲学 それは

「なぜ?」「どうして?」

から始まる学びです

 

普通は こうなんだ とか

当たり前 当然だ ということは

実はなかったりする

 

話し方大会の児童の皆さんの中にも

お話の中に

「どうしてかなぁ」という疑問を

体験の中で掘り下げて自分なりの答えを

見つけてそれを人前で発表する

これが 哲学です

 

不思議に思うこと

そこから 始まるそうです

 

わたしも 感じました

それが普通なんだ

ではなく

 

「どうしてなのか」

この ????? に取り組まないと

新しい考え方やあり方が

見えだせないのかもしれないと思う

 

寸心忌を前に

わたしも 子供たちと一緒に

「哲学」させていただきます