【幕末維新ゆかりの地】

 

今回は志士とか幕府とかではなく

幕末から明治にかけて活躍した廻船商人の【高田屋嘉兵衛】!

 

司馬遼太郎の小説【菜の花の沖】の主人公

表紙だけ見たらゲイ雑誌【さぶ】とかと間違えるよね?

 

さるるは【菜の花の沖】はまだ未読

何年も前に購入しているんだけど読む時間が・・・・。

さるるのやりたいことのいくつかのひとつが読書であったりします。

絵画も実は興味があるんだけど・・・・時間もお金も

いろんなことが中途半端になりそうで・・・・空手もね・・・・。

というわけで高田屋嘉兵衛といえば

 

ブログ界の歴史の奥の細道!

すてれんきょさんのブログを見ればすべて理解できる!

【すてれんきょさんの高田屋嘉兵衛めぐり】

高田屋嘉兵衛

箱館予習 高田屋嘉兵衛①

箱館予習 高田屋嘉兵衛②

箱館予習 工楽松右衛門

は~~~~~るばる来たぜ箱館~~~ッ

 

NHKドラマ【菜の花の沖】は観たのですが

やはり小説でなければ詳しくは把握できないだろうと思いつつ

さるるの知識なんざ

《すてれんきょさん》のブログから吸収したに過ぎないわけですが

せっかくなのでさるるの旅行記だと思ってお付き合いください☆彡

 

高田屋嘉兵衛の住んでいた場所は淡路島にあります。

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高田屋嘉兵衛は淡路国

兵庫県洲本市五色町に生まれ、叔父さんが営む廻船問屋に奉公し

どんどん出世して航海長になりカツオ漁に従事。

そこで資金を貯めた?謎もあるそうですがなんせ大きな船を手に入れ

蝦夷地にまで商売を拡大することに成功します。

 

五色町は高田屋嘉兵衛を観光資源としています。

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男子トイレは【嘉兵衛】

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女子トイレは【おふさ】

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余談ながら高田屋嘉兵は

妻の【おふさ】とは折り合いが悪く別居していた・・・・。

というネット情報が散見されますが

たしかに別居はしていたみたいですが仲が悪かったかはわかりません。

仲が悪かったとする説って司馬遼太郎の小説からかも???

あくまで【菜の花の沖】は歴史小説であって

必ずしも事実とはしない、司馬遼太郎の創作の部分があるんですが

それを歴史的事実と誤認してしまう人たちもいます。

(さるるも多分にそういった傾向がある!)

それほど司馬遼太郎の影響力が大きいということでしょうが・・・・。

 

いちおう案内板通りに歩くけど

お嫁ちゃんと道が合っているのか不安になる。

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あったー!

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閉まってました。(無念)

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話を戻しますが大きな船を手に入れ

蝦夷地に商売しようにも近江商人が跋扈してつけ入る隙はなかったようで

まだ開発されていなかった函館を拠点にしました。

兵庫津で酒、塩、木綿などを仕入れて運び、米を購入して箱館に運んで売り

箱館では魚、昆布、魚肥を仕入れて上方で売るという商売が成功。

兵庫の西出町に「諸国物産運漕高田屋嘉兵衛」の看板を掲げ本店を置き独立して

国後島から択捉島への航路も開拓し、地元の人に指導しながら漁場を開拓。

 

そこで忘れてはいけないのは工楽松右衛門!

兵庫県高砂市出身で「松右衛門帆」と呼ばれる帆布の開発に成功!

それにより富を得て、やがて南下してくるロシアの牽制のために

幕府の命により択捉や函館の湾岸施設を整備することを命じられ、それに成功。

その後、その施設や土地を高田屋嘉兵衛に譲りました。

この工楽松右衛門の働きがなければ高田屋嘉兵衛の活躍はなかったかも!?

 

兵庫県:高砂市【工楽松右衛門の旧宅(今市札)】

兵庫県:高砂市【十輪寺

 

ちなみに工楽松右衛門は

鞆の浦の港を整備しており、その名残なのか

さるるが鞆の浦に旅行に行った時に工楽松右衛門が開発した

「松右衛門帆」と印字された商品が売ってました。

あ~これ高砂市の人がつくったんやで~?ってお嫁ちゃんにね

もう知識をひけらかしちゃったわけですよ♪承認欲求の権化なんですよ♪

(さるるの人としての器はおちょこの裏♪)

 

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順風満帆な高田屋嘉兵衛でしたが
ゴローニン事件が発生

高田屋嘉兵衛はカムチャッカに拉致されてしまいます。

当時、日本とロシアでは

ゴローニンというロシア軍人の処遇を巡って緊張状態であり

高田屋嘉兵衛はそれに巻き込まれたカタチでの拉致でしたが機転を効かし

日本とロシアのの関係回復に貢献、無事に日本へ帰国しました。

 

高田屋嘉兵衛の記念碑

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立派な歴女になりました。

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その後、高田屋嘉兵衛は

幕府の事情聴取されたり感謝されたりしつつ

徳島藩の蜂須賀家から厚遇されたり

そして背中の腫物が悪化して69歳で亡くなりました。

高田屋は息子ではなく弟が継ぎましたが幕府よりロシアとの密貿易を疑われ

密貿易の疑いは晴れましたが

高田屋の船とロシアの内緒のお約束があることが発覚し咎められ

わずか2代目で高田屋は没落していきました・・・・。

 

高田屋嘉兵衛の屋敷跡は

地元の人が散歩するような公園になっていました♪

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この近くにある

ウェルネスパーク五色・高田屋嘉兵衛公園では

高田屋嘉兵衛の資料館、お墓がありますが

時間の関係で早く徳島県に渡らねばならず立ち去ったのですが

先にリンクを貼ったすてれんきょさんの記事をご参考下さい♪

すてれんきょさん、ありがとうございました☆彡

 

今回の【幕末維新ゆかりの地】は

当時、列強諸国との交流と対決の時期だった日本において

ロシアと対等に交渉に臨んだということで

民間人ながら高田屋嘉兵衛をセレクトしてみました!


高田屋嘉兵衛の銅像


うーん?


 

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