幕末維新ゆかりの地】

 

いよいよ天誅組、終焉の地へ!

すてれんきょさんとさるるが歴史ヒストリアした五條から

そのまま終焉の地となった東吉野村(鷲家口)へ!

 

高取城は確か日本100名城スタンプがあったはず!

いつかは行かねばなるまい♪

 

天誅組は軍事的に洗練された集団ではありません。

戦う気満々の【吉村寅太郎】ですが・・・・。

 

吉村寅太郎

この時、26歳で最期を迎えようとしています。

 

天皇のために、という志気の高さ

天領(天皇の土地)として誇り高い十津川郷士の合流

そこまではよかったのですが

そして半ば強制されて徴収された民衆は休息も食事も与えられず

ムチャな戦闘に参加させられてプンプン!(怒)

 

高取城に攻め入りますが

士気は高くとも軍団指揮に不慣れな中山忠光てか

中山忠光って公家さんやんね

そもそも戦闘指揮なんてとれるんやろうか????

なんせ高取城では大砲で部隊は混乱し敗走

(司馬遼太郎の『おお大砲』でもそういう描写があります。)

吉村寅太郎はその脆弱ぶりに激怒し

僅かな手勢を率いて高取城に夜襲を仕掛けますが発見され

戦闘が始まりますが味方の鉄砲に撃たれて撤退。

そもそも高取城は日本三大山城に数えられるぐらい堅牢な城で

ましてや吉村寅太郎は24人で夜襲を仕掛けたとか?

そりゃ勝てんやろうね・・・・。

 

撤退して五條に戻ったらなんと

天誅組本隊は天の辻まで撤退した後であり

吉村寅太郎が天の辻に到着する頃には

天誅組本隊はさらに別の場所に撤退していました。(涙)

 

吉村寅太郎

「おまえはサマルトリアの王子か!」

 

・・・と

言ったとか言わなかったとか。(嘘)

 

会うまでに苦労する割には弱いし・・・・。

 

中山忠光の言うことをきかず

天の辻で数に勝る幕府軍にゲリラ戦を仕掛ける吉村寅太郎。

善戦しますが総大将の中山忠光の言うことを聞かないとか・・・すでに

軍隊としては破綻しとるんやけどねー。

大軍を相手に少ない戦力をさらに分けるのは戦術において愚策も愚策。

最終的には本隊のいる東吉野村へ・・・・。

 

さるるたちも東吉野村へ

役場で情報収集することにします。

 

五條から車で1時間30分ぐらい

前日に彼女さんと深夜まで飲んでたので疲労が出てくる。(笑)

しかも前日の稽古で左足を痛めて歩くたびに痛い。(弱)

東吉野村って標高1000mぐらいらしい。

よっしゃ、高地トレーニングや!

 

おーめっちゃ

歴史ヒストリアポイントあるやん!

 

天誅組義士9人と幕府彦根藩士2人の菩提寺

【宝泉寺】へ

 

 

目の前が小学校で

なんや若いヤンチャそうなお兄ちゃんおるなー思たら

小学校の先生やったみたい。

若い女の先生も若いのーしっかし、こんな山奥の学校

通勤も大変だろうに・・・・。

 

天誅組6名がここを降りて彦根藩を急襲?

 

さるるも駆け降りてみた。

そして右足をくじいた・・・・。

左足(甲)の負傷に加え、右足首まで負傷するという

痴態を演じることに・・・・。

さるるが天誅組やったら駆け降りる時に転倒して

後続の動きを止めてまうやろうなー。

 

もう東吉野村の時点で

天誅組は空中分解していたようで総大将の中山忠光は逃亡。

十津川郷士も連れてこられた民衆も離反していきます。

(生野の乱も最後はそんな感じだったかな?)

 

吉村寅太郎は高取城で受けた傷が悪化して

遅れて東吉野村に到着した頃には天誅組は解散した後だったそうです。

さぞ無念だったやろうなぁ・・・・。

 

 

車でちょっと行ったことに

【明治谷墓所】

 

すてれんんきょさん

「えーこれ登るん!?」

 

さるる

「行きましょ行きましょ!」

 

吉村寅太郎、那須慎吾らの墓があります。

 

吉村寅太郎は土佐藩(高知県)から脱藩してからの軌跡は

長州藩(山口県)で久坂玄瑞に出会い(山口県:萩市【久坂玄瑞の生家】

筑前国(福岡県)で平野国臣に薫陶を受け

薩摩藩の国父島津久光の率兵上京、挙兵計画(伏見義挙)を聞き燃えて

土佐勤王党も脱藩して参加することを説くけれど

武市半平太の考えは挙藩勤王であり、これを許さずやむなく脱藩浪士として

天誅組に参加、そしてここ東吉野(奈良県)で志半ばで斃れました。

 

 

 

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