【黒田官兵衛ゆかりの地】

 

黒田官兵衛と秀吉の存在は

切って考えることはできませんが、秀吉の弟もまた

同様に黒田官兵衛にとって大きな存在です。

天王山の戦いでも黒田官兵衛と一緒に守備をついてたね。

 

けっこうチョイ役であることが多いけれどね

イメージ 2

 

羽柴秀長ってさるるは昔、小説で知ったんやけど

№2の大変さというか、№2は№2の立ち位置だとか勉強になりました。

まあ現在のさるるは社会的には№2どころか

社会の底辺を泥水を啜って生きているような有様ですが、まあそれは

とても楽な生き方でもあるので享受しています。

若い頃に偉い人?に抜擢されたけど全然ダメだったもんね、ダメならまだええけど

さるるが至らないせいで悲しみが広く深くなっていく現場がね

「人には器というものがある」

これを思い知らされた20年前・・・・しんどかったけど、それがわかっただけでも

それでええと思いますわ。

(同情される時あるけどマジで余計なお世話なんよなー。)

 

余談が過ぎた。

 

 

羽柴秀長って、秀吉の弟ということは

父親が違うとか、そうじゃないとかいろんな説があるけどなんせ

身分は秀吉とそないに変わらんかったわけですけど

軍事政治の両面で豊臣政権を支え続けました。

秀長が生きていればもう少し、豊臣政権は続いていたかもしれない?

なんて評する人もいるそうです。

 

そんな羽柴秀長の歴史ヒストリアも

もう数年前(奈良県:大和郡山市 【春岳寺と大納言塚と源九郎稲荷神社】

奈良県大会の苦い思い出も甦るわなぁ~・・・・・。

 

油断してたわけちゃうけどね・・・・。

1週間前にええ感じで試合を終えれたのに残念よ、さるる自身に。

 

また余談が過ぎた。

羽柴秀長の供養塔が長谷寺にあるというから

それを探したのでした。

 

 

 

 

 

長谷寺の後は奈良公園に行くつもりで

でも行きの渋滞で時間もけっこう超過してたから羽柴秀長の供養塔なんぞ

彼女さんに申し訳ない気持ちになったけど結局のところ

我を通させてもらったわけです♪

 

ここやな

 

どこかな?

 

見つけた!

ってかさるるのケツがパンパンやな・・・・。

 

彼女さんは遠目でさるるを撮影するだけ

まあ羽柴秀長なんて知らなくても生きていけるもんね

そんなさるるをこれからも見守ってほしいね!

だってひとりっこだも~ン♪

 

帰りはこの小道をボクシーで通らねばならずドキドキしました。

手前の駐車場に停めた方がいいかもね!

 

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