幕末維新ゆかりの地】

 

幕末のジャンヌ・ダルクと呼ばれた女性

【新島八重】

 

幕末も後期になるとすでに大勢は決していますが

江戸幕府に忠誠を誓う会津藩は故郷、会津で官軍(新政府軍)を迎え撃ちます。

少年兵で構成された白虎隊や女性だけで編成された婦女隊

臨時徴用された農民など太平洋戦争末期の日本軍の様相を呈していましたが

ジオン公国軍同様、そのような軍隊にもはや未来はなく

多くの戦死者と自殺者を出して会津藩は敗北することになります。

悲劇には美談が生まれることが多いですが

やはり女子供を動員するような戦争は上層部の無能の証明といえるでしょう。

 

しかしながら

時勢を見極め、官軍に与した藩より

「忠誠こそ我が名誉」を貫いた会津藩に高潔さを感じるのは

やはりさるるが日本人特有の体質を引き継いでいるからでしょうか

いつか、いつかは

福島県(会津藩)に歴史ヒストリアは行かねばと思っています。

 

新島八重

(綾瀬はるかのイメージが強くて・・・・。)

 

会津藩の砲術師範であった山本権八の子として誕生し

やがて但馬出石藩出身で藩校日新館の教授を務めていた川崎尚之助と結婚します。

明治元年(1868年)に会津戦争が始まると、鉄砲を主力に戦うべきと考え

刀や薙刀で戦うとした婦女隊には参加せず

鶴ケ城籠城戦では自らもスペンサー銃で奮戦しました。

敗戦後、捕虜となった夫と生き別れる。

その後、同志社大学を設立した新島襄と知り合い結婚しました。

 

最初の旦那(川崎尚之助)って

【麒麟がくる】の明智光秀やったんや!(驚)

 

 

そんな新島八重の最初の夫

【川崎尚之助】は兵庫県豊岡市出石の出身です。

 

江戸で蘭学舎密術化学)を学び、屈指の洋学者となり

山本覚馬(新島八重のお兄さん)と仲良しになり、それが縁で会津藩で蘭学の先生になり

鉄砲・弾薬の製造も指導、そうこうしてるうちに山本覚馬の妹・山本八重(後の新島八重)と結婚。

会津戦争では、八重と共に鶴ヶ城籠城戦に参加しました。

 

その後・・・・。

捕虜になった際に八重と生き別れ、やがて離婚し八重は再婚し

川崎尚之助は斗南藩に移住、外国商人と米の取引を行うが詐欺に遭ってしまったため

訴訟を起こされ、裁判中の東京で肺炎のため死去したそうです。

・・・・ん?なんで離婚したんやろう?

なんていろいろ思いを巡るのも歴史ヒストリアの楽しみであります。

けっこうどこにでもある話で離婚したのかもね。

 

川崎尚之助の生家跡

 

すぐそばに桂小五郎の隠れた家や

暇つぶしに碁をしていた寺とかあるんやけど(兵庫県:豊岡市出石 【桂小五郎ゆかりの地】

川崎尚之助の生家はあまり観光PRされてませんでした。見落としてまいそうやったね。

知名度が段違いに違い過ぎるからやろうかね?

同じ町内に幕府派として頑張った川崎尚之助の生家があり

討幕派として頑張った桂小五郎の隠れ家があるなんて、なんかおもしろいね。

 

川崎尚之助の碑がある【願成寺】

 


 

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