【幕末維新ゆかりの地】

 

坂本龍馬を慕ったメンバーには

維新の過程で憤死した人物も多いのですが、栄誉栄達した人物もいます。

その代表格が陸奥宗光ではないでしょうか。

和歌山県:和歌山市【陸奥宗光と和歌山城】

 

【お~い!竜馬】では

能力はあるがキザで軽薄な、それでも坂本龍馬大好きなキャラでした。

 

【お~い!竜馬】では描かれませんでしたが

坂本龍馬が暗殺されるとブチギレて新選組とやり合う狂騒っぷり

(新選組が坂本龍馬を暗殺してないけど勘違い♪)

新選組を襲撃って無謀すぎるけど

それほど坂本龍馬を慕う者にとって、その死は衝撃だったのでしょう。

しかも新選組最強の斎藤一もその場にいたっていうんだから

狂気でしかないよね、さるるだったら裸足で逃げ出すよ。

この事件について書かれた司馬遼太郎の【花屋町の襲撃】がおもしろいですよ。

 

陸奥宗光

けっこな武闘派やん

 

維新後、坂本龍馬の片腕的存在だった陸奥宗光は

明治初期に行われた版籍奉還廃藩置県徴兵令地租改正に大きな影響を与え

また、カミソリ大臣と呼ばた第2次伊藤内閣の外務大臣として

不平等条約の改正(条約改正)に辣腕を振るいます。

さるる的には日本外交史上、最強の外務大臣だと思っているわけです。

現在の日本より取り巻く国際情勢は劣悪、欧米列強の支配から独立維持するために

国力の無い日本が国際社会で生き残ったのは陸奥宗光の外交のおかげ!

 

【坂の上の雲ゆかりの地】

 

そして時代は流れ

日本は清国(中国)と戦争に突入します・・・・。

世界はまさか東洋の小国が・・・・つい最近、西洋のモノマネをした小さな日本が

アジア最強の清国に勝てるとは思わなかったようですが

日本は勝利することができました。

量に勝る清国に質で勝る日本が勝利したというカタチになり

それは日露戦争でも日本も想像していなかった完全勝利として具現化されましたが

清国もロシアもその政治内部が末期症状であったことが日本勝利の一番大きな原因だと思いますが

日本軍部は増長に増長を重ね、ついに太平洋戦争へと突入。

太平洋戦争初期こそ少数精鋭でアメリカ・イギリス・オランダ・中国を圧倒しますが

慢心から技術開発を怠り、そもそも欧米列強の技術革新に対抗できず

官僚化で機能不全を起こしていた日本軍にはかつての英雄は存在せず

多くの国民を道連れに最悪なカタチで終戦を迎えました。

 

余談が過ぎました。

 

とにかく

日本が政治・軍事で一流国だったのは

日露戦争前後までだというのが

さるる史観です。

 

一歩間違えれば植民地に転落しそうな世界情勢で

外務大臣として活躍した陸奥宗光は歴代最強の外務大臣と思います。

 

話は戻りますが日清戦争は日本の勝利で終結し

日清講和条約(下関条約)が締結されます。

 

その条約調印が行われた場所が

【春帆楼】

 

 

振り返れば海が見えます。

 

赤間神宮安徳天皇御陵に隣接し

関門海峡を望む高台に位置しているので日本の軍艦がよく見えたでしょう。

江戸時代、ふぐ料理は禁止されていたのですが

ふぐ料理公許第一号店としても有名なお店なんですって!(驚)

(伊藤博文のお気に入りのお店というのもある。)

 

伊藤博文と陸奥宗光の銅像があります。

 

下関条約をすすめた中心人物は

伊藤博文と陸奥宗光日本に有利な条件で講和を成立させますが

ロシア、ドイツ、フランスの三国干渉により

遼東半島を清国に返還しなければならなくなるという憂き目に・・・・。

 

春帆楼の真横に陸奥宗光の兄貴分?の【坂本龍馬のゆかりの地】

山口県:下関市【竜馬とおりょうの最後の住処】

 

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