【幕末維新ゆかりの地めぐり】

 

坂本龍馬が愛した妻・おりょう

 

寺田屋襲撃の際

お風呂に入っている時に坂本龍馬を捕縛しようと幕吏たちに気づき

それを知らせるために全裸で駆け上がったエピソードは有名です。

まだ寺田屋の記事が出来てへんわ・・・・。

 

寺田屋にこのお風呂が展示してあったけど

レプリカとか表示されてなかったけど・・・・たぶん違うと思う・・・・。

 

気が強かった、というのが定説ですね。

 

指名手配になり、京都を離れることになった坂本龍馬

おりょうを連れて行くことにみんなが反対しますが・・・・・。

 

 

 

おりょうは坂本龍馬を激しく愛したのでしょう

愛、強き故に・・・・坂本龍馬の死後、再婚するも坂本龍馬を愛し続け

そのことを公言し再婚相手と不仲になります。(当たり前やけど)

しかも・・・・おりょうの妹と再婚相手が内縁関係になり、おりょうを置いて出て行ってしまいます。

おりょうについての数々の証言は悪評ばかり、栄誉栄達した海援隊のメンバーですら

誰もおりょうの面倒をみようとはしなかったあたり

坂本龍馬にとっては愛すべき女性だったのでしょうが、やはり性格に難アリだったのかな?

 

おりょうが一番幸せだった時期かもしれませんね

 

というわけで!

 

今回は幕末維新ヒストリアでも

五指に入る重要な歴史ヒストリアを探検します!

それは・・・・

 

坂本龍馬と妻・おりょうの最後の住処

 

彼女さんとぜひ、訪れたかったん。

坂本龍馬とおりょうが仲睦まじく暮らした場所へ・・・・・。

さるるの心は躍動していたよ。

 

ここ下関で坂本龍馬は楽しく暮らした記録があり

舟で渡って行ける距離の巌流島に上陸して、二人で花火をあげたり

桜山で鉄砲をぶっ放してお茶したり

当時の女性としてはかなり自由奔放な生活をしていたそうです。

 

坂本龍馬とおりょうの最後の住処

 

 

 

現在は個人の駐車場に・・・・。

まあそりゃいつまでも保存なんてできないよね・・・・。

坂本龍馬の人気だって龍馬の死後かなり経過してからだろうし

司馬遼太郎の「龍馬がゆく」は昭和やし

明治天皇が日露戦争時に枕元に坂本龍馬が立っていた報道とかで

一時的に坂本龍馬が注目されたかもしれんけど

ちなみにこの明治天皇の話は日露戦争時の国民の士気高揚と

当時、土佐派閥劣勢のため土佐派の作り話という説がさるるは濃厚やと思います。

名前は忘れたけど土佐出身の人間が明治天皇の話を聞いて

「きっとそれは坂本龍馬です!」って言うたとか?

当たり前やけど明治天皇が坂本龍馬の顔を知ってるわけないしね。

現在ぐらい坂本龍馬が人気なら駐車場になってないかも?

 

おりょうは下関で坂本龍馬の帰りを待ち続け

 

下関で坂本龍馬の死を知ることになります・・・・。

 

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