【黒田官兵衛ゆかりの地めぐり】
宮本武蔵は関ケ原の戦いにおいて東軍
黒田官兵衛の息子、黒田長政の雑兵として参加していたことから
宮本武蔵を【黒田官兵衛ゆかり】と認定しました。
しかしながら諸説あり、宮本武蔵は西軍の宇喜多家に属していた説もあり
そうなるとこのブログでは論理破綻してしまうので・・・・・。(苦笑)
このブログでは【宮本武蔵は東軍だった説】を採用します♪
宮本武蔵で一番有名なのは
【巌流島の決闘!】
去年は福岡県北九州市門司区の海岸から
巌流島を遠望するだけでしたが今回は上陸しようと思います!
当初計画していたタイムスケジュールは大幅に超過していたのですが・・・・。
宮本武蔵ゆかりの地イコール黒田官兵衛ゆかりの地
これは逃すことが出来ないし、それに
この巌流島には
もうひとつの歴史ヒストリアがあるのです!!
【幕末維新ゆかりの地めぐり】
坂本龍馬と妻おりょうが最後に過ごした下関
坂本龍馬とおりょうは夜、船で巌流島に渡り花火をあげたそうです。
当時の時代背景を考えたら
おりょうってメッチャ自由奔放に生きていたんやな~!
巌流島に上陸
【巌流島】
本州(下関市彦島)から約0.4kmの関門海峡内に位置する小島。
島全体が平らな地形であり、標高は最高地点でも海抜10mに満たない島です。
海岸に設けられた遊歩道などからは関門海峡を行きかう大型船を間近に見れて圧巻で
島の大部分は公園として整備され人工海浜やキャンプ場が整備されていました。
決闘が行われたとされる当時の名称は船島であったが小次郎が「巖流」を名乗ったことから
巖流島と呼ばれるようになりました。
龍馬とおりょうも上陸?
って疑問符がついてるのが気になるやん。
でもまあ後年
おりょうが巌流島で花火をしていたと言っているんだから
していたんでしょうね。
ちなみに彼女さんは「はい、そんなんうそっ♪」って即断即決で否定してたのが
その歴史ロマンスの無さに萌えた・・・・。
でもまあよかった
この数か月後、さるるたちは福井県に行くんやけど
そこで佐々木小次郎の修行した場所に計らずしも行くことになるんよ
彼女さんからしたら「巌流島で戦った人がここで修行したんやな。」っていうね
イメージが繋がるやないですかね?
さるるの歴史ヒストリアの感性を強制洗脳を試みています。(*'ω'*)フォッ!
坂本龍馬とおりょうがここで花火をしたかどうか
物的証拠はありませんが
宮本武蔵と佐々木小次郎の巌流島の決闘も
事実かどうか怪しいものです。
諸説あり、宮本武蔵が弟子たちと佐々木小次郎を襲って殺したとか
決闘時は佐々木小次郎は80歳ぐらいだったとか
いろんな説があり過ぎ・・・・吉川英治の【宮本武蔵】の歴史小説を
さも真実の歴史であるかのように信じられています。
あ、ちなみに吉川英治って
極真会館の道場訓を考えた人です。
暑かったので休憩
空手で教わった「中足を返す」を練習していました。
坂本龍馬と宮本武蔵
両方の歴史ヒストリアが体感できる巌流島でした。
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