澤田事務所管理人が更新します。
この「連載プレイバック」は
1982年7月8日から1989年9月28日まで
雑誌「スコラ」に掲載された
笑人間を加筆訂正したものです。
本日は1986年1月1日 笑人間
「Wけんじ」(#49)前編です。
テーマ:東京漫才ここにあり!
(本文)
“漫才”というと“大阪”を連想するぐらい“漫才”と“大阪”は
切り離せないものになっているが、
それは漫才という芸が大阪の寄席で誕生し、育ち、
そして全国に広がったことが大きな理由だろう。
しかし、漫才という芸のルーツをたどると、
必ずしも大阪だけとの関係で発生したわけではないし、
一つの芸がその芸を生んだ風土と決別してはじめて
みんなに認知されたという例の方が多いから、
漫才のようなケースの方が珍しいのかもしれない。
大阪での漫才の地位も、ひところのようなパワーはないが、
新しいパワフルな芸能が誕生しないことや、
大阪にはお笑いタレント以外のテレビスターが
あまりいないこともあって、漫才は相変わらず大阪を代表する
芸能の地位を守っている。
ところで、漫才には東京漫才というジャンルがあるから
東京にも漫才はあるのだ。
しかし、東京漫才の対句として大阪漫才といういい方はしない。
上方漫才といういい方がないではないが、
上方歌舞伎、上方舞、上方芸能ほど定着はしていないし、
今「上方漫才を代表するやすし・きよしさん」などと紹介すると
西川きよしさんは大きな目が落ちんばかりにニラムに違いないし、
横山やすしさんにはぶんなぐられるかもしれないぐらいのものだ。
大阪からエンタツ・アチャコなど選りすぐった精鋭漫才が上京し、
東京で漫才がブームになった昭和初期に、
東京でも“漫才”という新しい芸能を志す人が多くいたのは昔も今も変わらない。
東京にも漫才コンビが次々と誕生した。
しかし、東京弁で喋る漫才にはコクがないので
会話は弾むがおもしろさに乏しいために大阪弁の漫才にはどうしてもかなわない。
つづく
澤田隆治