澤田事務所管理人が更新します。

 

 

この「連載プレイバック」は

1982年7月8日から1989年9月28日まで

雑誌「スコラ」に掲載された

笑人間を加筆訂正したものです。

 

 

 

本日は1985年9月26日 笑人間

「はらみつお」(#46)前編です。

 

 

 

テーマ:これからが楽しみな太っちょコメディアン

 

(本文)

 「コメディシアター」をつくったら、

次はコメディづくりだと、

「爆笑コメディ座」を結成して張り切っている。

 

 

 

「コメディづくり30年の経験を生かしてのコメディづくりだから、ラクショウでしょう」という人もいて、

たしかに笑ビジネス30年の間コメディと縁の切れたことは一度もないから

「楽しんでやってますよ」と返事はしているが、本音をいうと

決して楽勝ではないのだ。

 

 

 

「爆笑コメディ座」に集まったメンバーは、

コント山口君と竹田君と岡野源太、

シティボーイズ、ゆーとぴあ、はらみつおとコメディ笑店街、

コントきゃんでいず、コントパロル。

 

 

 

それぞれ違う考え方でコントをやっている連中に

「コメディをやってみないか」と呼びかけて集まった集団だから、

それまでお互いがライバルで同じ音色の笑いを避けて

コントづくりに励んでいただけに、

はたからみているより手間がかかるのである。

 

 

 

実をいうと私(※澤田隆治)は30年もやってはいるが、

コメディ劇団づくりは、初体験なのだ。

『スチャラカ社員』は座長大会のようなものだったし、

『てなもんや三度笠』は劇場で公演をしたりもしたが、

藤田まこと・白木みのるのてなもんやコンビがゲストとぶつかりあうという

図式で組みたてられたコメディだから、劇団という意識はなかった。

 

 

レギュラーでも週1回会うだけのスケジュールでは、

とても劇団意識がもてるわけにはいかない。

 

 

 

テレビではとうてい無理だと思っていたのだが、

幸いなことに「コメディシアター」が出来て、

そこを根拠地にするコメディアンの集団がいたことが、

劇団づくりを可能にしてくれたのだ。

 

つづく

澤田隆治