澤田事務所管理人が更新します。

 

 

 

 

この「連載プレイバック」は

1982年7月8日から1989年9月28日まで

雑誌「スコラ」に掲載された

笑人間を加筆訂正したものです。

 

 

 

本日は1985年7月25日 笑人間

「コント山口君と竹田君」(#44)中編です。

 

 

 

テーマ:笑いの実験劇場「コメディシアター」誕生

 

 

 

(本文)

この2月までストリップを連日上演していた劇場が

6月には劇場を全て改装して

「コメディシアター」に生まれかわるのには、

いろんないきさつがあり、今、とても書く訳にはいかないが、

あの歌舞伎町の灯を暗くさせた「新風俗法」が

そうさせたということだけは確かである。

 

 

 

それと、「コント山口君と竹田君」が「新宿ミュージックホール」で

頑張っていたことも大きなファクターとなった。

 

 

 

コント山口君と竹田君の山口君はストリップ劇場の専属コメディアンで、

マンザイブームの末期にコンビを組んでテレビに登場したのだが、

ブームに乗りそこねてコンビを解散、1人で劇場に残っていたところへ、

ストリップファンで通っていた竹田君が登場、

コンビを組んだのが大当たり、コントの救世主となったのだ。

 

 

 

 この山口君をずっと食わせていたのが

この「新宿ミュージックホール」の社長である。

山口君だけではない。

 

 

コメディアンが好きで、売れないコメディアンはこの劇場に

ころがりこんで面倒をみてもらっていた。

 

 

 

もう一つ、渋谷の道玄坂に「道頓堀劇場」というストリップ劇場があった、

 

 

ここの社長もコメディアンの面倒をよくみてくれて、

コント赤信号はここで育てられたのだ。

 

 

 

今、「ゆーとぴあ」をリーダーに若いコントが

いっぱいこの社長に育てられている。

 

 

 

新宿と渋谷の2つのストリップ劇場が、

東京のお笑い陣の一翼をになっているというのが現状で、

大阪の吉本興業のように

お笑いタレントを製造する組織をもたない東京では、

こんなキトクな社長がいなければ

とうてい若いコメディアンなど育つわけがないのだ。

 

つづく

澤田隆治