澤田事務所管理人が更新します。
この「連載プレイバック」は
1982年7月8日から1989年9月28日まで
雑誌「スコラ」に掲載された
笑人間を加筆訂正したものです。
本日は1985年7月25日 笑人間
「コント山口君と竹田君」(#44)前編です。
テーマ:笑いの実験劇場「コメディシアター」誕生
(本文)
日本で一番ニギヤカな街、新宿の中央口を出たところ
「コメディシアター」が誕生した。
客席200と小さい劇場だが、
人を笑わせるのにはこれぐらいの大きさがいい。
このあたり、戦前・戦後は「武蔵野館」や「ムーラン」など、
映画の封切館や小劇場が一杯あって、
若者たちがせっせと通ったところである。
昭和30年代に新宿コマ劇場を中心に娯楽街が
歌舞伎町に出来て、人の流れが変わってしまい、
このあたりは今の浅草のようになってしまった。
紀伊国屋ホール、新宿アルタが有名になって、
ヤングはますます中央口と縁がなくなり、
土曜・日曜に競馬ファンだけがむらがる街になっている。
その昔、石原裕次郎が全盛の日活の封切館で
メチャメチャに人を集めた国際会館の5階に、
「新宿ミュージックホール」というストリップ劇場が
オープンして10年、輝ける日活の封切館も
いまや洋モノポルノ映画を上映していて、
この一帯ピンクゾーンとして知られていた。
「コメディシアター」は、その国際会館の5階にオープンしたのである。
つまり、「新宿ミュージックホール」が「コメディシアター」に生まれかわったのだ。
この2月までストリップを連日上演していた劇場が
6月には劇場を全て改装して「コメディシアター」は、
その国際会館の5階にオープンしたのである。
つまり、「新宿ミュージックホール」が「コメディシアター」に生まれかわったのだ。
つづく
澤田隆治