澤田事務所管理人が更新します。
この「連載プレイバック」は
1982年7月8日から1989年9月28日まで
雑誌「スコラ」に掲載された
笑人間を加筆訂正したものです。
本日は1984年6月28日
笑人間「夢路いとし・喜味こいし」(#31)前編です。
テーマ: すばらしい兄弟コンビ
(本文)
夢路いとし 本名 篠原博信 1925年(大正14年)生まれ。
喜味こいし 本名 篠原 勲 1927年(昭和2年)生まれ。
つまり兄弟コンビなのである。
ちょっと頼りなさそうないとしさんの方が兄で、しっかり者のこいしさんが弟なのである。
本当は逆なのかもしれないが、
漫才での役割がそうなのである。
子供の頃からプロの漫才師で、
荒川芳博、芳坊という芸名で舞台へ出ていたのだ。
6歳と4歳の舞台がどれくらい人気があったかは
想像がつくに違いない。
昔は芸人の子供は小さい時から
舞台へ立ったものだ。
いとし・こいしさんの場合もそうだったし、
かしまし娘の三人姉妹もそうだった。
中国奇術の吉慶堂李彩さんは5歳の時に、
お父さんの横に立っていたというし、SAKOH&SAYOのSAYOさんも
5歳の時から水芸の太夫をつとめていたのだ。
芸人の子供でなくても、芸事の好きな親は
子供に夢を託して小さい時から芸事を
習わせるのは、昔も今も変わらない。
ミヤコ蝶々さんは子供の時から天才を認められて
早くから大阪の舞台に立っていたし、
荒川芳博・芳坊のいとし・こいしさんも、
初舞台から人気チビッ子漫才だったのだ。
以来、50年以上も、ずっと人気漫才コンビの地位を守りつづけているのだ。
人気だけではない。芸術祭をはじめ、
漫才コンビに与えられる総ての賞をもらっている
実力は少しもおとろえていない。
このごろの芸能界は、大学出のタレントがどんどん増えてきたし、
子供の時からプロにしようと思ってもいろんな規制があって、
昔のようにはいかなくなっているから、
もう夢路いとし・喜味こいしさんのように、
50年以上もそれ一筋というタレントは生まれないに違いないのだ。
それに、いま兄弟の漫才コンビというのも、
中田ダイマルさんや若井はんじさんが亡くなって、
もういとし・こいしさんぐらいのもので、
子沢山の家族が少なくなってきたこれからは、
まず誕生しないのではないだろうか。
つづく
澤田隆治