2021年3月15日月曜日。

今週も1週間がんばりましょう。

 

管理人のひとりごと本日は

「特別編」を更新させて頂きます。

 

 

タイトルは数字が多いのですが日本人なら

「サンテンイチイチ(※サンイチイチ)」

「ニイテンヨンロク」にピンと来るだろう。

 


それは10年前の2011年(平成23年)3月11日(金)

午後2時46分宮城県牡鹿半島を震源とした

「東北地方太平洋沖地震」が発生した日である。

 

 

主に2021年3月11日木曜日から今日まで

NHKから民放各局で「震災特番」が連日放送されている。

 

 

被害を直接受けた方々にとっての10年と被害を受けなかった人にとっての

10年の歳月は全く感じ方が異なるだろう。

 

 

本来ならば「2021年3月11日」に文章を掲載する方が多いと思われるが

文章を書きあげて掲載する決心が付かなかった為、

時間がかかってしまいました。

 

 

私は関東に住んでいたので最も強い被害は受けていないものの

当日は東京・神奈川を移動(※往復)している最中であり

震度6強の揺れを感じた。

 

 

詳しい1日の出来事について、これから説明することとする。

 

 

大変申し訳ないが長文になるので

興味のある方は読んで頂ければ嬉しい。

 

途中、お見苦しい文章もあります。

 

 

私は2011年3月11日(金)の出来事は

10年経過した現在も鮮明に記憶している。

 

ちなみに前日の3月10日(木)についても

何をしていたか自然と思い出せる。

 

 

本日は2011年3月11日(金)の出来事のみ掲載することとする。
 

 

毎年毎年3月のこの日になると自然と自分自身の

当時の様子が頭の中で何回も何回もリフレインする。

 

 

【2011年3月11日(金曜日)の澤田事務所管理人の1日】

テーマ:「あの日、私が考えた事」

 

天気は快晴。比較的、温かい1日のスタート。

 

 

 

私は普段通りに会社へ10時に出社。いつも早起き早出勤を繰り返していた。

 

 

 

新しい年になってまだ3ヶ月というのに2011年1月からイベントや催し物続きで
当日は身体的にも精神的にも朝から疲労が溜まっていた。

 

 

当日は午後6時から都内でイベントが控えていたので朝は

最終準備と次のイベントの

企画を考えながら社内清掃に取り組んでいた。

 

 

11時半に身支度や清掃を終えると、

ビルの最上階で串カツを食べながらお茶を飲んでいた。

 

 

簡単な昼食を済ませた矢先に神奈川県横浜市で「ぴろきの街ぶらロケ」収録中の

スタッフから私に突然電話が来た。

 

 

用件は急遽、当時、売り出し中の芸人・ぴろきさんのストラップとCDを

神奈川県横浜市の桜木町のロケ地まで持って来て欲しいとの通達があった。

 

 

上記の写真が当時、現場へ運んだグッズである。

 

目的はぴろきさんが街ぶらロケ中に訪れた店に

ストラップとCDをプレゼントし、番組宣伝をする企画でした。

 

このロケの模様は表紙2枚目の

写真「笑って健康寄席 もっともっと笑い亭」(tvkテレビ)で

毎週放送されていました。

 

2011年(平成23年)4月3日(日)から、

放送が決まっていた演芸番組で

既にレギュラー化が決定していた。 

(※番組は2011年6月19日(日)まで続きました。)

 

 

表紙1枚目の写真は2011年4月3日(日)放送の

番組冒頭テロップある。

 

 

この番組は「リフレ」「小豆島ヘルシーランド株式会社」

「テレビランド」の3社提供の

1時間番組に構成されていた。

 

 

主に漫才・落語・コントなどの演目と街ぶらロケの2部構成で

事前にネタ見せは「横浜にぎわい座」で公開収録も

行われていて番組内で告知しながら招待券の

プレゼントキャンペーンも行われていました。

 

 

ウクレレ漫談の「ぴろきさん」は2021年現在も

東京の寄席を中心に活躍し、漫才協会と落語芸術協会に所属している。

 

 

寄席以外ではテレビにも出演し、

主に日本テレビの「笑点」やNHKの

「演芸図鑑」にも出演。

 

 

ウクレレを使った自虐ネタ漫談は

子供からお年寄りまで幅広い層に支持を受けている。
 

 

現在は寄席に足を運ぶのが難しいので

ステイホームに「ぴろきCD」を管理人はおすすめする。

 

 

詳しいプロフィールについてはホームページを参照して頂きたい。
 

 

話を当日の様子に戻す事とする。

 

 

私は急遽決まった予定に都内から

神奈川の桜木町駅まで電車で行く事にした。


12時05分頃に横浜駅行の電車に乗車した。
 

 

40分かけて向かう予定であったが12時20分頃に

人身事故で電車が緊急停止し遅延した。
 

 

な、何かこの昼の段階で私は嫌な予感をしていた。

 

 

何とか横浜駅に遅れて到着し、乗り換えて横浜駅から

桜木町駅まで向かうも今度は横浜駅発車後に

電車がすぐに停車した。

 

 

非常停止ボタンが押されたアナウンスがあった。

 

 

早くストラップとCDを現場に届けないとロケ班に

迷惑をかけてしまうと私、管理人の頭の中は混乱していた。

 

 

現場に到着したのは12時46分くらいだったと記憶している。

 

 

到着が遅れて私は謝罪する以外、

現場で何にも話す事が出来なかった。

 

今もこの件については申し訳ない気持ちで一杯である。

 

 

電車で2回もトラブルが起こるなんて不吉な出来事であった。

 

 

しかし、ここからおよそ2時間後に

日本はとんでもない出来事に

巻き込まれる事をこの時はまだ誰も知らなかったのである。

 

 

ロケ現場到着後、ロケ班と1時間程同行して「街ぶらロケ」の現場を私は見学。
 

 

 

夜の都内でのイベントが控えていた為に、

私は14時過ぎに現場を後にし、桜木町駅へ向かい電車を待った。



桜木町駅から横浜駅へ向かい、横浜駅から品川駅へ2度目の乗り換え。

 

 

品川駅で降りた後、3度目の乗り換えで1度会社へ戻る予定であった。

 

 

しかし、目黒駅に向かう途中でいきなり強い揺れを感じた。

 

 

電車は左右に上下に右往左往、

下に落ちれば川に急転直下してしまう状態でした。
 

長時間揺れたのを私は記憶している。


真下には川が見えていた。

 

 

この出来事を思い出してしまうので

私は近年まで「笑って健康 もっともっと笑い亭」
(tvkテレビ)を見るのを躊躇っていました。
 

 

テレビ局や出演者、番組スタッフへの不仲や批判と

勘違いされるので前もって忠告するが、決してどちらでもない。

 

 

自分自身の辛い気持ちがよみがえってしまうので

敢えて見ないようにしていただけである。

 

 

話しが逸れてしまったので当日の様子に

話を戻すと電車を急遽降りて、駅まで歩いた。

 

 

下が川だったので吊り橋を渡っている感覚だった。
 

 

駅に到着するも私は何が起こったのか全く状況判断が出来ずにいた。

 

 

駅に着いて電車は全線運休の無情のアナウンスが

繰り返し繰り返し行われていて駅員は

乗客との対応が追いついていなかった。

 

 

私の周りの乗客は、「ここはどこ?」

「どうやって家に帰ればいいん?」と言った

不安と焦りの声があちこちから聞こえてきた。

 

赤ちゃんの鳴き声もあちらこちらから耳にした。

 

東京都内であり当日は金曜日の昼だった。旅行に来ている乗客も多く見られた。
 

 

改札から外に出るも駅前のオーロラビジョンは

砂嵐の画面になっていて、交番前や

タクシー乗り場やバス乗り場は物凄い行列になっていた。

 

 

特に交番前に大行列は初めて目にした。
タクシー乗り場やバス乗り場もいくら都内とはいえ異常な様子だった。
 

 

もうこの時の私は携帯電話のバッテリーを

完全に消耗していたので何て馬鹿なのだろうと思っていた。

 

ピンチにピンチが重なった瞬間であった。
 

 

私はまだ状況判断が出来ていなかった。
まず公衆電話を探して会社に電話することにした。

 


しかし、回線が完全にパンクしていて

テレホンカードを入れてダイヤルも

コール音が鳴らずにカードが戻ってきてしまった。

10円玉を入れても全く同じ状況だった。


もう、この瞬間私は夜6時からの

イベントに参加は無理だと思った。
 

公衆電話も通じないので断りの連絡も出来なかった。

過ちの過ちを犯してしまった「サンイチイチ」であった。
 

 

とにかく土地勘の無い場所から交通機関はほどんど断たれ、

携帯電話もバッテリー切れ。
 

 

何時間かかっても会社に戻るという考えしか出来なかった。

徒歩で戻る選択肢しか用意されていなかった。
 

 

周りを歩き始めるもコンビニやスーパーから

飲み物や食べ物は全て完売していた。

カンパンや離乳食までも商品棚から消えていた。

ホームセンターも同じ状況だった。
 

 

自動販売機も全て売り切れのマーク。

お茶、ジュース、コーヒー、紅茶、果てはお酒までも売り切れていた。

 


飲食店は行くとこ、行くとこ臨時休業の紙が貼られていた。
 

 

ライフラインの飲み物を確保しようと

パチンコ店やゲームセンターに入ろうと考えついたが

自動販売機の飲料水はこちらも全て売り切れていた。

 

 

オフィスビルの社員の方々はあちこち走り回っていて

何だかイライラしている様子だった。
 

 

商業ビル内にある自動販売機も見事に同じ結果であった。

社員が買い占めていた。

これは家路に着けない為、あるだけ衝動買いをしたように思えた。


仕方なく知らない道を歩き続けると今度は自転車屋さんが見えた。
何だか自転車屋さんは商売繁盛な様子で大将が

非常に忙しそうで大張り切りな様子だった。

 

きっと少しでも早く帰宅するための移動手段だと私は見てとれた。

 

 

私はエンジン要らずのスーパーカーが飛ぶように売れるのは今日だけで

明日以降は売れないやろ!と心の中で毒づきつつ、自分自身に自信をつけていた。

 

 

肝心な私は誰の力も借りずに1人で歩いて

必ず会社に戻る事を自分の頭の中で言い聞かせていた。


午後3時過ぎから歩いて会社に辿り着いたのは午後8時30分くらいだった。
およそ5時間30分以上飲まず食わずだった。


 

土地勘の無い町を歩く不安とライフラインを失う恐ろしさを強く実感した。
人間根気強く生きていく事が大事だと感じた。

 

 

会社に到着後、会社も棚の荷物が部屋の足の踏み場が無いくらいにひっくり返っていた。


 

相変わらず都内の電車も全線運休の状態が続いていた。
会社に戻ってニュースをやっと見る事が出来た。

 

午後8時間40分を過ぎていた。

 

午前10時30分にテレビを見て以来、

移動中は全く情報が入らなかったのでおよそ10時間ぶりの状況確認だった。

 

 

東北地方の様子を見た瞬間の私は何も言葉が出なかった。

 

 

私は結局、次の日の3月12日午後2時頃まで

電車に乗る事が出来なかった。
 

 

帰宅出来た時には午後9時を過ぎていた。

 

なぜなら1駅1駅停車時間が長かったために帰宅する時間がかかってしまった。

 

 

帰宅後も不安は隠せなかった。

自宅も日用品が部屋中にひっくり返っていた・・・・・
当日の状況については以上である。

 

 

人間いつどこで何が起こるか分からない。

世の中は常に良い事と悪い事の繰り返しである。
 

 

今、自分に常に何が出来るか考察しなければならない。
 

 

もう10年前の出来事になるこの「東日本大震災」の出来事を

2021年現在の小学生はもうこの日の出来事を知らない。

後世にしっかり伝える必要もある。
 

 

事件や事故は決して対岸の火事にしてはならない。

必ず自分に振りかかってくるのだ。

どんな出来事も常に明日は我が身なのだ。
 

 

来年の今日も私はこの投稿をすぐに読み返している自分自身が思い浮かぶ。
 

 

人間は生きているだけでかっこ良いのである。

 

 

 

 

生きていく強さ


澤田事務所管理人

大西康裕