この「連載プレイバック」は1982年7月8日から1989年9月28日まで
雑誌「スコラ」に掲載された笑人間(※著者:澤田隆治)を加筆訂正したものです。
本日は1983年(昭和58年)3月24日
笑人間「コント・レオナルド」 (#15)中編です。
テーマ:
「いよいよ本領発揮のコント・レオナルド「よかったね、熊さん」」
(本文)
やがてあの漫才ブームがはじまって、やっと復調した
ラッキーパンチに出番がやって
きたと思ったら、再び熊さんがダウン。
そのかわりにチャンスをものにしたのがコント赤信号であった。
このチームも熊さんと同じストリップ劇場の出身で、
熊さんを師と仰ぐが、肝心の師はまだ登場出来ないのだ。
私(※澤田隆治)は熊さんにいつでも
身体が元通りになったら出てもらうよといい続け、
彼もそれを頼りに病気と戦ってくれた。
ところが相棒のサブちゃんはこんな師匠にほとほと困りぬいてコンビを解散してしまった。
もうだめかと思っていたら、ある日電話があって、「コント・レオナルドと名をかえて
やりたいけどいいでしょうか」1年半前のことである。
健康のことを考えた私(※澤田隆治)は「花王名人劇場」だけに出て
コントをやるのならという条件を出した。
いそがしさに身体をすりへらして中途半端で倒れるより、
どうせ遅れついでにゆっくりいこうやと合意に達して、
それからはネタづくりの毎日、この1年半に10本以上のすごいネタが出来て、
今、コントでは一番ネタを多くもっているコンビとなったのだ。
つづく