この「連載プレイバック」は

1982年7月8日から

1989年9月28日まで

雑誌「スコラ」に掲載された

笑人間(※著者:澤田隆治)を

加筆訂正したものです。

 

 

本日は1983年(昭和58年)2月24日 

笑人間「山城新伍」 (#15)前編です。

 

 

テーマ

・「コメディもいいけど芸人として高座に立つのもいいな」

 

 

(本文)

 山城新伍さんに「花王名人劇場」で

コメディをやりませんかと口説きにいったら、

「いつも名人劇場みていて思うんだけど、

三枝君ややすし・きよし君が独演会を

やってるんだから、僕にも独演会の

チャンスくれまへんか」といきなり言われた。

 

 

「いわゆるワンマンショーちゅうやつですか」

 

 

「いや、ショウでなくて、

演芸のジャンルでいきたいんですよ、

花王名人大賞、

狙えるようなものやりたいんです」

 

 

「やるのならそれぐらいの

意気込みでやってくれたら

うれしいですよね」と私(※澤田隆治)。

 

 

「マジメな話ですよ、

あれは一万人の投票なんでしょう」

 

 

「よく御存知で、じゃア山城さんの

名前を諸芸部門のタレントリストに

入れてもいいんですね」

 

 

「うれしいですね、僕は

映画漫談で、角座の名人会に出て、

1日2回で10日間、20分の

高座をつとめたことがあるんですよ」

 

 

たしかに権威ある角座の名人会に

山城新伍が出て大いにうけたという

噂はきいていた。

 

 

「来月、明治座の芝居の中で、

落語をやろうと思ってるんですよ」

 

 

コメディの打合せもあって、

以前、新伍コメディを一緒にやったことのある

前川宏司さんと明治座の芝居をみにいくと、

船場の道楽者のぼんちが芸事に入れこんで、

寄席の高座で1席伺うというシーンがあり、

出囃子にのって出た新伍さん、見台を前に

おいて映画の裏ばなしをマイクによって

寄席をわかしたあとちゃんと落語をきかせてくれた。

 

 

「いける、いける」と前川宏司さんと

いろんなアイデアをねって、

何度も山城新伍さんと

打合せを重ねた。

 

 

いよいよ国立劇場演芸場での

本番の日、あの山城新伍さんが

いささかあがり気味で、

なじみのせんだみつや

チャンバラトリオが私のところへ

「今日の山城さんえらいマジですね」と

ささやきにくるほどだった。

 

つづく