この「連載プレイバック」は

1982年7月8日から1989年9月28日まで

雑誌「スコラ」に掲載された

笑人間(※著者:澤田隆治)を加筆訂正したものです。

 

本日は1982年(昭和57年)11月25日 

笑人間「島田紳助・松本竜介」(江川卓、財津一郎)(#10)前編です。

 

テーマ:「紳竜よ、大いにケンカすべし。」

 

(本文)

 島田紳助・松本竜介の漫才を大阪のうめだ花月の舞台で

初めてみた時の異様な感じを、私(※澤田隆治)は

今でも昨日の事のように、生々しく思い出す。

 

 

それはまさしく異様な感じとしか表現しようがないフィーリングで、

それはかつて同じうめだ花月の舞台で、

財津一郎を初めてみた時の感じとよく似ていた。

 

 

この時の財津一郎も異様であった。

 

 

演技の質が同じ舞台に出ている吉本の

コメディアン達とは全く違うだけでなく

「キビシイ!」「チョウダイ!」と叫ぶアクセントが

あのエキセントリックな風貌とよく合っていて、

私(※澤田隆治)は「これだ!」と一発で

5年目に入った「てなもんや三度笠」への

起用を決めたのだった。

 

 

テレビに登場してもなかなか

あのキャラクターは大衆になじまず、

視聴率の高い番組だけに保守的な

視聴者が多く「気色悪いから早くおろせ」とか

「あの男が出ている間はない」といった

投書がきたものだ。

 

 

だが結果は反対で、財津一郎の登場によって

「てなもんや三度笠」は活力を取り戻し、

それからの2年間、視聴率を上げ続けたのである。

 

 

勿論、島田紳助・松本竜介と財津一郎の

異様な質は違う。

 

 

しかし、舞台から客席に向って放たれる

敵意のようなものは一緒であった。

 

 

そもそも舞台に立つ芸人は、

なによりもまず客を味方にしてしまわなければ成りたたない。

 

 

財津一郎の場合は長い長い下積みの

生活の怨念みたいなものが不適ともいえる

演技態度となり、その敵意は客に直接伝わらず、

共演している他のコメディアンに感じられたようだ。

 

 

幕内の評判の悪さは淒いものがあった。

 

楽屋での奇行は逐一報告され、

いまでも吉本興業の語り草になっているほどである。

 

 

つづく