この「連載プレイバック」は

1982年7月8日から1989年9月28日まで

雑誌「スコラ」に掲載された

笑人間(※著者:澤田隆治)を加筆訂正したものです。

 

 本日は1982年(昭和57年)10月28日 

笑人間「マギー司郎・伊藤一葉」(#8)中編です。

 

テーマ:「伊藤一葉からマギー司郎へ」

 

(本文)

 すぐにも私(※澤田隆治)の番組で使ってみたいと、

所属する事務所に話をしたら、

翌日、私(※澤田隆治)のところへ

若いマネージャーと内気そうな伊藤一葉さんが現れた。

 

 「人気歌手相手に奇術をして、

それが見事に失敗して貴方もあわてる、

歌手も困るというネタはできませんか」というと、

マネージャーの吉川秀昭さんが慌てて

「この人、あんましなんでも出来ないんです」という。

 

いささかこちらもあわてて、

ではこんなことも出来ないか、

あんなことはどうだといろんなアイデアを話し合ったら、

なんのハッタリもなく「考えてきます」と悩みを

身体いっぱいに出して帰っていった。

 

 でも本番は大成功だった。

そのあと、何度かテレビの仕事で

つきあっているうちにあの大当たりである。

 

 そのころ坂上二郎さんの司会するトークショーに

一葉さん一家に出てもらった事がある。

 

本番で一人息子の利文君に二郎さんがお父さんへの希望をきいたら

「前はキャッチボールをよくしてくれたのに、近頃全然してくれない。

キャッチボールをしてほしい。」

 

一葉さんはなんともいえない顔をして「前は仕事がなくて暇でしたからねェ。」

 

この会話は子供をいつも同じような目にあわしている私(※澤田隆治)に妙にこたえた。

 

 それから数年たった日曜日、私(※澤田隆治)が息子とデパートで玩具売り場を

歩いていたら、催場の余興の帰りの一葉さんと吉川さんにバッタリ出会った。

 

次の仕事で時間がないのですみませんと、

息子に一葉さんのマジック道具のセットを渡すと忙しく走り去った。

 

ああまだ利文君の希望は、

叶えられていないなァと利文君の

顔を思い出したりしたものだ。

 

 そのあと突然の訃報で、

伊藤一葉さんは私達の記憶に

あの端正な顔と微笑を残して、あっさりとこの世を去った。

 

1979年(昭和54年)9月30日であった。

 

つづく