この「連載プレイバック」は1982年7月8日から1989年9月28日まで

雑誌「スコラ」に掲載された笑人間(※著者:澤田隆治)を加筆訂正したものです。

 

本日は1982年(昭和57年)9月23日 笑人間「京唄子・啓助」(#6)前編です。

テーマ:「続いて欲しい、大当たりのジンクス」

 

(本文)

「唄啓劇団」が東京のサンシャイン劇場で初の東京公演で、大成功をおさめたのが

今年(※1982年)の4月。8月は大阪の中座に「唄啓劇団」の看板をあげ、

連日熱戦を繰り広げる夏の高校野球に負けじと、こちらも一杯のお客様を集めての

爆笑公演である。

 

 「唄啓劇団」は、京唄子・鳳啓助御両人の主宰する劇団である。

とわざわざ説明をつけておくのは、サンシャイン劇場の芝居をみて、

「唄子・啓助さんはちゃんとしたお芝居もするんですね」という人が東京には

大勢いたからで、「おもろい夫婦」の司会しか知らない人が多いのだ。

 

「唄啓劇団」がスタートしたのは1970年(昭和45年)だからもう13年になる。

東京には初お目見得だったが、大阪は中座、京都は南座、名古屋は名鉄ホールと

1年に3回の公演を10年以上も続けているのだ。

 

いつも客の入る安定した劇団という評価を今年は東京でも実証したが、不入りの興行の

多い今どき素晴らしい事で、これは大阪の劇団としては「松竹新喜劇」につぐ快挙で

あった。

 

 この劇団の主役はいつも京唄子である。

 

鳳啓助は、ワキでおもしろさを一手に引き受け脚本を書き、演出からセットの

プランニングまでやってしまうという才人ぶり。文字通り「唄啓劇団」なのだ。

つづく