昨日、「月末」というブログを書いたので今日は「月初」❓( ´艸`)

 

そうか、今日は2月1日だ。

 

亡き父の生誕86年だ。

 

 

兄弟3人を大学まで出して、無遅刻無欠席、晩年に病に倒れ、

復活したが定年退職後、数か月でこの世を去った。

 

 

上記のテレホンカードは復活した時、

自分で作ってみんなに配っていたらしい(笑)

 

父は九州朝日放送(KBC)いわゆるテレビ朝系。

テレビ放送が世の中に浸透し始めた頃のTV技術屋さんだ。

 

48歳の時、同期の誰より早くTV技術部長になり、

 

今じゃメジャーになったゴルフのKBCオーガスタ(第1回目)

では映像の責任者だった。誇らしかった。

 

気が短い父で俺は要領が悪く馬鹿だったからいつも殴られていた。

(今だったら、まったくもって虐待だがwww)

 

何か人生を急いでいた印象があった。

 

通夜の時、同僚の皆さんは、

「沢辺は断ることば、せんでしたもんねぇ。頼まれると、なんとかして見ますけんですもん。」

「そげん頑張でよかったとですけど。。。ばってん俺たちは適当やったけんまだ生きとるとですけど(笑)」

 

まぁ、その笑、ちょっとイラっとしたがww。

 

部長になって数億円と言われる放送機器の購入決済については、ストレスだったようだ。

 

放送機器の設置は東京の業者さんがやるわけだが、いつも父は立ち合いで手伝ってくれて

 

仕事が終わったら、自費で小料理屋とか焼き鳥屋とか業者さんを呑み連れていって

 

最後は長浜豚骨ラーメンで〆るという博多B級グルメコース(笑)

 

数億円の放送機器を購入してもらった業者さんは。。。

 

「いやいや弊社の方で支払いますよー」

 

「よかとよかと、そげん高い飲みと違うけん」

 

その業者の人とは、その後合う事が出来、

話を聞かされた時、なんか涙が出た。

 

自分は今年、父が無くった歳になるわけだが、まぁ情けない。

結局は父を超えることなど無かったなと。。。自虐w。

 

 

父が他界し、数年後に息子が生まれた。

祖父は父が亡くなって毎日、悲しんでいたらしいが、

息子が一歳の時、帰省した時は喜んでくれた。

数年後97歳で他界、それを追うように祖母も一週間後に他界。

 

 

その後、息子を連れて久留米に帰省することがよくあった。

 

息子は立派な社会人になった。

 

これもご先祖様のおかげだと思っている。

 

 

コロナ禍以降にお墓参りしていない。

 

そろそろ久留米にお墓参りに行かなければ。

いつ死ぬかわからんしww。

 

今日2/1は亡き父を偲んでいます。

偉大な父でした。