9月8日に崩御されたエリザベス女王の国葬が9月20日に執り行われました。

世界中の41憶人の方が視聴するという、まさに世界中の方が女王との最後の別れの瞬間に立ち会いました。

 

まだ25歳だった女王が「人生の全てを国民と英国並びに連邦に捧げる」と宣言したことは非常に有名ですが、この言葉を生涯に渡り貫いた女王でした。

「女王は我々にとって母であり、祖母だった」と涙する人々の姿は、まさに若き日の誓いを全うされた事を象徴するかのような言葉でした。

 

反面教師としての叔父(エドワード8世)の背中と、君主としてのあるべき姿として祖父(ジョージ5世)・父(ジョージ6世)の背中の両方が女王の心に大きく影響し、その二つの影響とあまりにも大きなものを背負う若い女王の心の内があの誓いに集約されたように感じます。

君臨すれども統治せず・・・そのお手本として有名なジョージ5世ですが、国民に寄り添う君主というのはジョージ5世が最初です。

エリザベス女王の叔父にあたる「エドワード8世」が私情を優先し退位した事により、エドワード8世の弟であるアルバート(エリザベス女王の父)が即位しました。統治名を「ジョージ6世」にしたのはジョージ5世(エリザベス女王の祖父)の意志を引き継ぐ事の現れでもありました。

 

祖父から父に、そして父からエリザベス女王に国民に寄り添う君主の姿が受け継がれました。

 

日本にとってもジョージ5世の存在は非常に大きく、昭和天皇が第二の父として慕われた国王でもあります。

立憲政治の根本的な考え方については昭和天皇にとって終生の考え方の根本となったそうです。

日本にとって天皇という存在は「権威」を持ち「権力」を持ちません。

これにより日本の皇室というのは世界で最も長い歴史を持つ事が叶ったと言っても過言ではないと考えます。

現在の立憲君主制は「君臨すれど統治せず」ですが、日本の場合は(極一部を除き)権力を欲さず権威の象徴として天皇が存在するという歴史が古代より脈々と続いている事を考えると日本ってものすごく先進的だったのでは・・・と感じる訳です。

 

日本でも英国でも度々皇室・王室は必要なのかという議論がなされますが、今回のエリザベス女王の崩御に際して多くの英国国民が女王に感謝を述べ、哀悼の意を捧げていました。

英国国民のその姿を見るだけで、女王の「存在」そのものに国民にとって大きな価値があった証ではないのでしょうか。

 

フランスや中国皇帝の歴史が一番わかりやすいですが、それらが衰退し壊滅したのは権力にまみれたからです。

権威と権力が分離されているという事が現在も皇室・王室が保たれている国の共通項かと思いますが、権威の象徴であるという事は皇室や王室はその国にとってのアイデンティティーでもあります。

いずれ、数百年という長い年月が経ち「各国」という概念が失われた時には皇室や王室は過去の歴史となるかもしれませんが、現時点においてはまだそうはなりません。

その国を象徴する存在として皇室や王室がある国というのは、その元においてのみ国民がまとまる事の出来る大切な象徴だと私は考えます。

 

2つの戦争を経験し、君主の存在意義が激変した時代に生きたエリザベス女王。

 

愛する父親の早すぎる死によってもたらされた70年という在位は決して女王が望んだものではありませんでしたが、自分が立てた誓いを生涯一度も破る事なく生きたそのお姿は英国国民の皆様にとって誇りでしかなく、他国の私でさえもその生き様に感涙せずにはいられません。

 

エリザベス女王陛下に心から哀悼の意を表します。

 

 

🔴 「SWDトレーニング①をご検討中の皆様へ」はコチラ

🔴 「研修(SWD①)受講『予定者様』からの嬉しかったお言葉」はコチラ

🔴 【各月3社限定】経営者様相談会はコチラ

🔴 よくある質問・お問合せはコチラ

 

🔴 Skill and Willホームページは↧↧↧

 

🔴 実施中研修内容(一部)ご紹介↧↧↧