昭和平成の球界の大功労者でもある野村克也監督が、まるでその2つの時代の終わりを見届けるかの様に令和2年2月11日に逝去されました。

 

既に多くのTV番組等でも野村監督のご功績については取り上げられていますが、「人間的成長なくして技術的進歩なし」の信念は野球選手のみならず多くのビジネスマンや経営者にも多大な影響を与えられたことと思います。

球界には多くの有名監督、有名選手がいらっしゃいますが、野村監督は采配、その言動についての影響の与え方が野球ファンという枠にとらわれないという点について一線を画す人物だったように思います。

 

今でも私自身いつも読み返す書籍に「そなえ 35歳までに学んでおくべきこと」があります。

 

 

もちろん私自身はすでに35歳は通り過ぎたのですが、それでもなお、やはりこの書籍から学ぶことも多く、まだまだ出来ていないなぁ、足らないと感じる部分は読むたびに感じます。

なので、定期的に読む1冊でもあります。

 

スポーツの世界で名を残されている方、またその道で指導者の立場に立たれた方の生きた人生に「人間としての成長」を大切にしなかった方は皆無かと思います。

また逆に、その努力の過程において人間的成長は自然と成しえるものだとも思えます。

プロ野球の世界に入る事だけでも、どの大学受験よりも厳しく

更にその中でトップ選手に上り詰めて行く事は並大抵の努力では果しえません。

 

野村克也監督の後半の人生において全ての言動の土台になっているのが「自分の価値は周りが決める」という価値観だったように思います。

それは「人が自分を見ている」という言葉に集約されているように感じるのです。

そして、何より「執念の人」だったように思っています。

 

決して恵まれた環境ではなかった幼少時代

甲子園にも一度も出場したことがなくテスト生として契約金0のプロ人生のスタート

ID野球とも呼ばれた徹底した情報分析とデーター解析

自分の出来る努力は最大限すること

努力は準備であり、準備以上の成果はない

だからこそ出来得る限りの最大の準備をして本番に挑む

自分を磨く、自分の心のあり様・あり方に徹する

人の事を言う前に自分にその刃を突きつける

勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし(※)

 

野村監督の生き様や信念はいつも私には痛烈な刃として突き刺さりました。

 

人間としての「深み」を感じずにはいられなかった野村監督。

それは野村監督ご自身の人生苦や逆境の「乗り越え方」からにじみ出るたものだった様な気がします。

改めて自分自身の逆境への立ち向かい方、苦難の乗り越え方をもう一度見直し、自らの心にこそ最も厳しい刃を突きつけて生きて行きたいと思います。

 

昭和と平成の球界を支えてこられたご功労者である野村監督。

ご冥福を心よりお祈り申し上げます。

 

 

 

※この言葉の一部は野村監督の書籍にもなり、また監督ご自身の名言としても有名ですが、もともとは松浦静山の言葉でもあります。

歴史、中国古典等幅広く勉強をしてこられた野村監督が大切にされてきた言葉の一つだと思います。

 

 

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