カスティリオーネの運命を変えていったイエズス会の「適応主義」は、キリスト教を、その外見だけ中国風に変えただけのものではなかった。古代ローマ世界においてギリシャ哲学とキリスト教神学を融合させていったギリシャ教父たちのように、イエズス会士たちは儒教とキリスト教との融合を試みていく。
ただ、マテオ・リッチの書いた「天主実義」を読むと、彼は儒教の哲学的側面のみならず、詩経に記された上帝や文王をも大胆にキリスト教と結びつけている。異教とのシンクレティズムともとられかねないリッチの神学的解釈は、しかし15世紀イタリア•ルネサンスの哲学者マウリシオ•フィチーノの「詩的神学」にも似ている。彼ら新プラトン主義者たちもまた、リッチと同様に、古代ギリシャ・ローマの神話世界をキリスト教と結びつけている。(※1)
そしてフィチーノの詩的神学がボッティチェッリの名作を生み出したように、リッチの適応主義はカスティリオーネの絵画世界を生み出していった。
もっとも、イタリアの一都市をフィールドとしたフィチーノたちとは違い、「教皇の精鋭部隊」とも言われたイエズス会士たちのフィールドは地球規模に及ぶ。彼らは新プラトン主義者たちのような「空想の旅人」ではなく、欧州をはるか離れた異世界に飛び込んでいった「現実の旅人」だった。
日本では彼らのことをスペインやポルトガルの先兵のように語る人たちが多くいるが、彼らからすれば不本意な話だろう。たしかに彼らの、宣教のためには時に手段を選ばない姿はある意味マキャベリ的に見えるし、日本や中国がキリスト教国になるなら、たとえスペインの植民地になっても構わないと彼らは(少なくとも彼らの一部は)思っていたと思う。(それが不可能なことは彼ら自身がよくわかっていたのだが。)
明朝の衰亡と清朝の勃興が明らかになりにつれ、イエズス会士たちは、あれほど漢民族の士大夫たちと交友していたにも関わらず、満州民族の清に大砲を売っている。
イエズス会士たちは、日本や中国はもとよりスペインやポルトガルを含め、国家というものを宣教に利用しようとは思っていても、そこに忠誠を感じることはけしてなかった。彼らの忠誠の対象はあくまで神であり、そして教会と教皇にあった。教皇の精鋭部隊としてのイエズス会は、時にカトリック諸国の権益と対立し、南米では現地の人々と共にスペイン軍と戦う神父たちも出てきている。結果的に、こうしたことがイエズス会の解散へと繋がっていく。
人は人を信頼し、人に感化される。宗教の教義を自ら理解し、人を介さず宗教に感化されるような人はごく稀だ。明清において、また戦国期の日本において天主教徒が50万人にまで増えていったのも、キリスト教の教義というよりは、まずは彼ら宣教師たちの人間的な魅力によるものが大きかったのではないかと思う。当時の欧州のカトリック教会において、また日本や中国のの宗教界においても、貴族や有力者たちの子弟によって構成された高位聖職者階級は俗化し、それぞれの宗教のあるべき理想からはかけ離れて「腐敗」し「堕落」していた。リッチより半世紀前のローマ教皇アレクサンドル7世の悪業は有名だが、日本においても信長公記等に書かれたように、比叡山や、また石山本願寺の僧たち、根来衆たちの俗化した有り様はよく知られている。
そうした中で、信仰の理想に燃え、妻も子もなく財産もなく、命の保証もない一年以上の船旅を費やして日本に渡ってきた彼らの姿は、当時の日本人や中国人たちには清々しく見えたのではないだろうか。
そして、何の縁故も後ろ盾もない異国の地で、殉教を覚悟しつつ臆せず大名たちと渡り合う彼らの心のあり方は、戦国武将たちにも相通じるものがあったのだと思う。
マテオ•リッチは多くの明の士大夫たちと交友を結んだが、彼らを魅了したのは「天主教」ではなく、欧州の科学技術だったとよく言われる。しかし、士大夫たちがリッチを信頼し友としたのは、そうした実利もさることながら、やはりリッチの人間的な魅力によるところが大きかったと思う。
カスティリオーネも然りだ。カスティリオーネの人間性を示す資料はあまり残されていないが、清朝三代の皇帝からの信頼を得、厚遇されたのは、彼の絵の技量のみによるのではなかっただろう。
平安春信図 郎世寧 Wikipediaより
乾隆帝の祖父である康熙帝の代から仕え、乾隆帝を幼い頃から知るカスティリオーネが描いたこの「平安春信図」は、彼ら親子の姿を実際に見ていたカスティリオーネの眼差しから生まれたものだ。それは、数多の名品・名作に囲まれて育った乾隆帝から見ても、心を打つものだった。単なる美辞麗句に満ちた絵なら、乾隆帝の心を打つことはなかっただろう。それが実際の親子の姿だったのか、乾隆帝が心に思い描いた父子の姿だったのかは別として。
欧州人は、カスティリオーネが西欧式の絵画を描くことをやめて中国画に傾倒していくのを見て、「欧州の魂を売った男」と非難したという。カスティリオーネは司祭ではなく助祭であったし、確かに彼の絵からはキリスト教的な匂いは感じない。
しかし、もし彼が画家としての名声を欲するだけの人だったのなら、イエズス会士として中国に渡ることなく、欧州で絵を描き続けていたのではないだろうか。また中国に渡ったとしても、先に書いたように早々に帰国する道を選んだのではないだろうか。
私には、カスティリオーネの生き様の根幹にあったのは、やはり「信仰」ではなかったかと思う。神に信頼し、天命を信じ、命運を神に委ねて生きる、信仰者のものであったように私には思える。
ただ、どのような信仰を持つにしろ、それがその人の「人間性」に還元されないのなら、それはただの教条主義や原理主義にすぎなくなる。
私は、弾圧を受けた信徒たちが棄教するより、その殉教を願うような彼らイエズス会士たちの言葉に激しい憤りを覚える。棄教というものが信徒の魂の救済を永遠に失わせることを意味するものだとしても、日本人としてはこう問わざるを得ない、あなた方はいったい何のために私たちのもとに来たのか、善良な人々を死地に追いやるためか、と。
しかし彼ら宣教師たちの多くも、信徒たちと共に殉教している。財産を持たず、妻も子も持たず、二度と故郷を見ることのないであろう遥か東方の国へと彼らを向かわせたのは、スペインやポルトガルといった「人間の王国」に対する忠誠心ではないし、貿易で一攫千金を得て栄耀栄華な生活を送ろうという夢でもない。彼らが追い求めたのは地上の栄華ではなく、人の目には見えない「神の王国」だった。
※1
ただし天主実義を読むと、「詩的神学」とは異なり、リッチは詩経の上帝と基督教の天主を全く同じものだと主張しているように見える。これが問題の根を深くし、後の典礼論争につながっていく。
Photo/Daisen
追記
もろん、今日のヒューマニズムの視点から見れば宣教師たちの行為には非難すべきことも多い。そして中国や日本の多くの無辜の信者たちを死地に追いやった彼らの責任を、殉教の美名のもとに賛美するカトリック教会の姿勢にも、私は日本人として違和感を覚える。中国においても日本においても、宣教師たちは外からやってきた訪問者であり、当初は客人として迎えられた。彼らはそれぞれの地の事情を知りつつ宣教していたのだから、悲劇の責任はそのほとんどが彼らにあるといえるのではないか。繰り返しになるが、宣教師たちの倫理観からすれば、棄教が、人の魂の救済を永遠に失わせることを意味するものだったとしても。
もしも、東アジアにおけるキリスト教弾圧の非人道性を強調する人がいるなら、私はその人に一つだけ問いたい。もし当時の欧州に仏教の僧侶が伝教に向かったなら、欧州の権力者たちはどのような態度で彼らを迎えただろうか、と。門前払いは当然のこととして、もしもマドリードでスペイン人の仏教徒たちが見つかりでもしたら、どうなっていただろうか、と。異端者やユダヤ人に対して彼らが行ったことから推察して、東アジアで行われたよりもっと残虐な歴史が今に記されていたのではないだろうか。
ただし、宗教というものが、国家という共同体の構造を維持するための「装置」としてどのように位置付けられ、機能していたのか(もしくはしているのか)を考察したなら、宗教弾圧は洋の東西を問わず、人間の共同体の中で必ずおきる問題だと私は思う。(これは、思想•イデオロギーの問題に関しても同様だ。)
そして同時に、スペインによる大航海時代から帝国主義の時代に至る一連の流れをもって欧米人を、そしてキリスト教を非難する人々に対しも、私は一つだけ問いたい。(それは私自身に対しての問いでもあるのだけれど。)
欧州人は地球の丸さに気づき、ラテン人たちは命を懸けた大航海の果てにそれを実証していった。欧州の帆船は地球を東周りにアフリカを周り、インドに、東南アジアに、日本に、中国に到達し、西周りにアメリカ大陸に到る。宣教師たちは未知の世界の奥深くに足を運び入れ、そこに何があるのかを細かく書き記していった。
そして欧州の帆船はいつしか黒煙を吐く巨大な鉄の船になって、彼らの艦隊が世界の海を制覇していく。
その時、私たち日本人や中国人は何をしていたのだろうか。欧州人が何世紀にもわたり外へ外へと船を繰り出していくなか、我々は何をしていたのか。
私たちは扉を閉ざし、鍵穴から世界の様子を伺っていたのだ。それがけして悪いというわけではないが、欧州人の植民地支配や帝国主義について怒る時は、我々のその、何世紀にもわたり内向きだった姿も思い出すべきなのだ。
倫理の問題ではなく、その時、その時代の文明が持つ「パッション」の問題として。
孫文は、列強によるアジア侵略を単に非難するのではなく、こうも語っている「我々は眠っていたのだ」と。そして「目覚めよ」と、中国人に語りかけた。‥‥目覚めるとは何か、どのように目覚めるか、また今の我々は本当に目覚めているのか、その問題は別として‥‥。
ちなみに、よく知られている通り孫文は基督教徒でもあった。
藤島大千
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