アルバイトの思い出(1992年~1995年)① | 吉祥寺 myhome life

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2014年に吉祥寺にマンションを購入するまでの奮闘記や、吉祥寺での現在の日々を綴っています。
2019年8月に自著「吉祥寺までの道のり アラフォー独身女性住みたい街にマンションを買う」(文芸社)を出版致しました。

特に理由はありませんが、ふと上京してから経験したアルバイトを振り返ってみることにしました。

 

東京に来て初めて就いたアルバイトは田町駅から近い慶応仲通りにあったニュートーキョー三田WELLという洋風レストランの皿洗いでした。

1992年当時、バブルは崩壊していましたが、まだ少し好景気が残っていたせいか時給は私にとって破格の1200円でした。

上京する前、住んでいた北関東の田舎で高校2年の数か月間焼肉屋でアルバイトをしていましたが、その時の時給は600円だったので、1200円は夢のような時給です。

普通なら上京して間もないころに、そんな時給を見たら少し警戒しますが、若くて怖いもの知らずだったのか迷わずフロムエーに掲載されていた連絡先に電話をしていました。

当時は、インターネットもまだ一般的ではなかったので、アルバイトはフロムエーやanといった雑誌を買って探していました。

履歴書を持って面接に行くと、マネージャーが丁寧に仕事内容の説明と店内を案内してくれました。
時給も高いし、応募者が多いだろうから採用されないだろうなと思っていたのですが、翌日連絡がありなぜか採用になりました。

もちろん、そのお店のアルバイトの時給が全体的に高めということはありますが、それなりに激務です。

仕事内容はひたすら食器を洗うという作業ですが、業務用の食器洗い乾燥機をフル稼働させてやっと追い付けるくらいの仕事量です。
しかも調理場の片隅のシンクに18時から23時まで立ちっぱなしで、夏場は調理器具の熱気で汗だくになります。

普通なら体力的にキツいと感じると思いますが、私は小学校2年頃から祖父母の経営していた旅館で手伝いに駆り出されていたので、皿洗いはお手の物だったので、あまり苦痛に感じることなく続けられていました。

下がってきた食器をひたすら洗い、慣れてくるとオムレツのオーダーが入ったら、卵2個と塩コショウと生クリームを入れて混ぜた器を用意するというのが私の仕事でした。
オムライスを作る時に生クリームを入れるというのをここで初めて知り、しばらく家で真似して作ったりしていたものです。

このお店は本当に居心地が良くて、賄いも頂ける上に、仕事中もドリンクを持ってきてくれたり、洗うお皿が少ない時は待ち時間は勉強をしていてもよいよと言って下さって、本当にありがたかったです。

退勤後はお客様がいなくなった店内で、好きなドリンクを出してもらい、他のアルバイトの人たちとおしゃべりをしてから帰るのが日課でした。
当時19歳になる前の私は一番年下でしたが、名前の漢字から「キューちゃん」とニックネームで呼んで頂き可愛がってもらいました。

そのお店は本当にいろんな方が働いていて、私と同じ大学生もいれば、フリーターの方や昼間OLをやりながらアルバイトに来ているお姉様もいました。
中には恵比寿や田町に実家がありそこに住んでいるという、生粋の都会育ちの方もいましたが、みんなとても良い方で、田舎者の私とも仲良くしてくれて、時々バーベキューに行ったりサークルのような付き合いでした。

当時、その店でフルに勤務をしていたフリーターのオダさんは、その後正社員になりました。
フリーター時代から働き者でしたが、社員になってからは更にお店とお客様のために頑張っていました。
先日、田町に出かけた際に、懐かしくなってお店があった場所に行ってみました。

私が働いていた「ニュートーキョー三田WELL」は残念ながら既に別の飲食店になってしまっていました。

結局ここでのアルバイトは3年程続けましたが、当時はLINEやメールといった連絡ツールもなかったうえに携帯電話も学生が持つ時代ではなかったので、結局辞めた後に誰とも連絡を取らなくなってしまいました。

当時一緒に働いていた人たちはどうしているだろう。
また会いたいです。