初めてのシェイクスピアは上白石萌歌見たさで見に行った「リア王」でした。



2024年3月19日、池袋にある東京芸術劇場プレイハウスでの観劇。芝居を見た記録がないので美術に記録してみました。


そもそもその日は夜勤明けの日で夜にNHKホールで開催された「COVERSフェス」なる公開生放送に抽選で外れたけど、知り合いが譲ってもらったらしくておこぼれを頂戴することになり、その日は日中妻と子供が友達の家に遊びに行くことになり、わざわざ埼玉に帰るのはもったいないから東京に居座ろうとなり、リア王のマチネとかないかな?と探したらまんまとあったので手を出しました。

かねてから「上白石ならモネ派ではなくてモカ派」だと申しておりまして、結果として私はこの日上白石萌歌の全仕事に立ち会ったと言えましょう。ちなみにCOVERSフェスは岡村和義の史上初ステージ目当てでした。



本題に戻りましょう。
ほぼ予習なしで臨んだリア王、振り返ったら東京芸術劇場で芝居を見るのは1999年の3月に見たジョビジョバの「MONKEY MIND」以来25年ぶり、なんなら芝居自体もこれまたジョビジョバで令和元(2019)年5月1日という令和初日に見た「Let’s Go Six Monkeys」以来5年ぶりのはず。

基本的に映画もそうだけど、予備知識無しで臨みたくて、ほぼ手ぶらでは行こうとしたんだけど、キャストが主演段田安則で周りを囲むように高橋克実、浅野和之、江口のりこ、田畑智子、小池徹平と超豪華で手数料込みで12000円に納得しました。


そして、Twitterにて「#リア王」で舞台の感想とかを夜勤で暇な時間に観てたら、相手はシェイクスピアだからか翻訳された戯曲を読み直しましたみたいな人もいて、そんな気合入れないといけないのか?みたいな戸惑いもあるなかでいざ池袋!




表現の是非は分からないですがおそらく今一番日本で注目されている演目では?なんて勘違いもしますよ、だってお祝いの花が全部胡蝶蘭なんですもの(笑)。

あと、公演チラシの量が荷物くらいの重さで笑ってしまった。

シェイクスピアだからオバサマオジサマが多いから持てないことに配慮してか?アフターコロナだからか知らないけど、チラシは山積みされてご自由にお取り下さいみたいなシステムで要らないものはこちらへみたいな箱があったのも令和のチラシ新常識なのでしょうか、カルチャーショックでした。でも、そんなに行けないのは分かってるけど芝居のチラシ見ちゃいますよね、面白いですよね。


座席は一階バルコニー席、満を持してオペラグラス持参で行きましたがそもそも東京芸術劇場プレイハウスがこじんまりした劇場で肉眼でもそこそこ近くてオペラグラスはより近く感じられました。

音響とか詳しくないけど、あそこはマイク無しなんでしょうか?凄い地声が皆さん通っててはっきり聞こえました。シェイクスピア特有の時代で難しい単語が多々ありましたけど、それこそ私的メインだった上白石萌歌の声そして歌声、段田安則のあの声、江口のりこのちょっと厳しめな声、小池徹平の高めな甘い声、三谷幸喜の映像作品で何度も耳にした浅野和之のかすれ気味な声もミーハーなもんで本物に興奮しました。特に高橋克実、テレビでしかしらないと朗らかおじさんなイメージが圧倒しますが板の上ではカッコよかった。そもそも皆さんあの難しいセリフを覚えて感情に乗せてるんだから凄いんだけど、ギャップの落差で言えば高橋克実でした。

あと、休憩中にパンフレット読んで一番衝撃だったのは入野自由が映画「千と千尋の神隠し」のハクだったこと、追っかけてなかったけど仕事を続けていて、こんな立派になってるのかと驚いた。あと、朝ドラ「らんまん」で波多野役だった前原滉が出てたこと。どっちも役者として名前の認識無かったんだけど、驚き、そして出会いに感動しました。で、どちらにも神木隆之介が関わってるという偶然。

パンフレットも1800円だけど読み応えあって、グッズがパンフレットしかなかったからかったけど、シェイクスピアヴァージンの私にも優しいパンフレットで色々な情報があり、段田安則の手記に「私のリア王どうでしたか?」みたいに書いてあって、感想くださいみたいな文面はないけど、今回はアンケートも無いからこれを書いている(笑)。

言わずもがな、このリア王を含めて「ハムレット」「マクベス」「オセロ」が4大悲劇と呼ばれてるそうだけど、観劇後の率直な感想はそこまで悲しくなかったなという感じ。見終わった後、山崎ハコやら森田童子とか中島みゆきの歌の世界に浸りたいくらいに悲しいとかに成るのかなとばかり思ってましたけど、確かに殆ど死んでるけど、引きずりはしなかった感じでした。個人の感想ってやつなのかもしれないけど、自分の中での悲劇1位は太平洋戦争中の上野動物園の象と飼育員の話だけど、それに比べたらって感じでした。

世の中の喜劇と自称するものにニヤニヤするけど、腹よじれるくらい笑いましたって状況じゃないのに似てるかもしれない。でも、考えたらこれが1600年の作品だから、後出しジャンケンのように現代演劇が悲しみを増していった結果だとしたら悲しみ度みたいなものは少ないのかもしれない。

そう考えると、いろんな楽曲にビートルズのエッセンスが入ってたり、色んなアニメにジブリやガンダムの名シーンのオマージュが入ってるように「血が止まらない」って台詞にグループ魂のコントを思い出し、「どいつもこいつも気違いだ」に北野武監督作品の映画「その男、凶暴につき」のラストシーンを思い出しハッとしました。そこしか切り取れなかったけど、その他の台詞に同じようにハッとした人はたくさんいたに違いない。シェイクスピア作品とは演劇界におけるマスターピースなんだと実感させられた。

ストーリーに関しては「渡る世間は鬼ばかり」みたいな話だったというのが第一印象だった。つまり、家族間の愛憎劇だったなって話なんだけど、
人は老いて生きる目的を失うとボケて醜態を曝す。
血が繋がった家族でもボケ老人は嫌いになる。
これが関ヶ原の合戦が行われてた頃のイギリスでも同じ感覚で語られているという事が一番の衝撃だ。人間は変わらないんだなと言う哲学的なものを感じたのでした。

そして、初演から400年経って色んなヴァージョンのリア王が上演されてきて、誰もやったことがないようなものをやるとしたら、美術も白い板状のものだったり、衣装も変に着飾らず現代風でも語り口は当時の雰囲気といったものでした。これが最初だった自分にとっては色んなものが新鮮に映るだろうから、良い初体験になったなと思います。

ちなみに上白石萌歌、キャストで言ったら三番手だったけど、登場回数は圧倒的に少なかったなぁって印象でした、筋で言えば小池徹平共々上位だったんだろうけど、キャリア的にやむを得ないんだろうか。

とはいえ、始まってしまった4大悲劇、始まってしまったシェイクスピア、でも戯曲を読む気は起きてないのでどう攻略するか考えたいと思います。それにしても昭和生の日本人だから伯爵とか公爵とか度々出て来るカタカナの名前に困惑して、結局いつもあだ名とか役者の名前で変換してしまう。果たして私はシェイクスピアの沼にハマったのだろうか。
せっかくだからYouTubeの映像全て載せてお別れです。