いきなりですが2024年1月18日(木)にradikoheadというイベントを行います。


私が仕掛け人なのですが、開催に当たり会場で読んでもらうように皆さんのラジオ遍歴を書いてほしいとリクエストしてます。当然自分も書くわけですが、全部書くとみんなが読み切れない量になりそうなのが分かったので会場で読んでもらう前提で作るもののベースとするディープなものを書いてみました。

ちなみにラジオにまつわる聞くと言う行為に関して「聞く」と「聴く」があって、意味的には
自然にきこえるからきくのが「聞く」で英語ではHearに近い。
集中してきくのが「聴く」で英語ではListenになる。
自分の場合はどちらとも取れるけど、ながら聴取が割と多いので「聞く」と書いてます。
それでは私のラジオ史です。

 幼稚園児〜小学生期

病弱な子供で休みの日は午前中から夕飯までラジオ三昧だった。だから、最古の記憶は建て替える前の実家の幼稚園時代に西武園ゆうえんちへの遠足に行けず、かかりつけの内科で注射を打たれて泣いて布団で聞いてたこと。

最古のラジオ番組は「大沢悠里のゆうゆうワイド」と「若山弦蔵の東京ダイヤル954」また、番組内番組の「毒蝮三太夫ミュージックプレゼント」や「永六輔誰かとどこかで」「小沢昭一の小沢昭一的こころ」は内容分からずよく聞いていた。毒蝮三太夫とか小沢昭一とか聞いていた頃に落語を好きになる素養は出来ていたのかもしれない。

ちなみにラジオに初めて声が乗ったのは小3で『こども電話相談室』にて「ペットに名前をつけたいがどうすればいいか?」だった。母がパートに行ってる留守を狙って電話したが移動中の母にバレた。

中学時代

勉強時に無音で出来ない子供だったので試験期間は小沢昭一からナイター中継まで。中2の冬に塾を通うまで「東京レディオクラブ」は少しだけ聞いていた。また、ナイターオフ期にやっていた歌謡番組を録音したりして、歌謡曲の下地が出来た時期でもあった。

高校受験終えた頃に幼馴染から電気グルーヴの音楽を紹介され、それと共に彼作の「電気グルーヴのオールナイトニッポン」のセレクションを聞く。ちなみにニッポン放送は実家のさいたま市(旧大宮市)エリアはニッポン放送の受信状況は劣悪で雑音の入ったテープを聞いてた。

高校時代

入学当初はクイズ研究会でラジオの聞き方は中学と変わらず、テスト勉強や予復習時に聞いてるレベルだったが高校1年の冬に合唱部移籍と共に文化圏が変わり、伊集院光とコサキンのUPsを録音して聞き始める。

大学受験を終えた3月、ちょうど電気グルーヴ「Shangri-La」リリースの頃で暇つぶしにNACK5の夕方の帯番組が電話リクエストをしていて、暇なので電話リクエストをエピソード付きでしまくっていた。

 大学時代

UPsのラインナップがお笑い寄りになったことで聞く番組が増える。
(月)伊集院光 深夜のバカ力
(火)爆笑問題カーボーイ
(水)コサキン DE ワァオ
(木)わらばん[色んな芸人が出ていた番組、アンタッチャブルとかコンビ時代のバカリズムとか出ていたはず]
と聞き始める。ちなみにわらばんが終わったことでナインティナインを聞いていた時期もあるが、もとより「遺書」以降の松本人志信者だったので『ナインティナインはダウンタウンのチンカ●にも及ばない』発言が影響して余り聞いていない。

20歳になった記念と自分がいたサークルの部員募集を兼ねて、『コサキン DE ワァオ』内のリスナー参加クイズ【知っテレフォン】に出演、5人勝ち抜けでコサキンが自分のために録音してくれた㊙テープ、10人勝ち抜けでスタジオ招待という企画で6人勝ち抜く。

この頃ラジオ番組の面白かった場面をダビングして残している。

  社会人初期(2001〜2005)

カセットMDラジカセというのを当時持っていたがこの辺りでネットワークウォークマン(SONYがi-podへ対抗した商品)が登場し、深夜番組を予約録画するという行為をしなくなったので殆ど聞かなくなってしまうが、部署移動をした2003年ラジオとの接点は営業車での昼の帯番組か夕方のナイター中継に代わる。

それまでの「ニッポン放送の受信状況が悪い土地柄」の反動で営業車ではニッポン放送をメインに聞いており、ニッポン放送の女性アナウンサーに魅了される。有料の女子アナブログを登録していた。当時一番好きだった増田みのりアナウンサーは後に構成作家の高須光聖の妻となる。

脱サラ期

2006年構成作家になろうと脱サラ、ラジオとはかけ離れた人生が始まるが、2007年の2ヶ月間、オードリーのオールナイトニッポンの作家である飯塚大悟氏と同じ事務所にいたことがある。

社会人2010年代

2010〜2012年
当時いた旅行会社がFM横浜のワンコーナーをスポンサードしていたがオンエア時間以外は社内でずっとJ−WAVEをかけていて、2年くらいはJだった。夕方のピストン西沢が偉そうだし、DJタイムの時にやたらBPM上げてつなぐのが嫌で自分で編集したCD持参して上司が帰ったらかけたりしてた。
ただ、ちょうど東日本大震災で帰宅難民になった時に音楽に助けられた思いになったのはJ−WAVEがメインだったからに違いない。

↑2011年、あーりんに会いたかった頃の筆者
2012〜2014年
旅行会社の営業をしていて営業車を使っていた。約10年ぶりの営業車、日中の時間帯がメインだが、
午前中は大沢悠里のゆうゆうワイドで午後は
(月)(火)NACK5のGOGOMONZ
(水)(木)TBSたまむすび
(金)NACK5のFunkey Friday
と聞き分けていた。赤江珠緒の声やポンコツぶりはテレビのキャスターとの落差も相まってラジオの申し子みたいな印象ある。そもそもはピエール瀧がレギュラーだったからだけど、カンニング竹山と山里亮太がそこまで好きじゃないから(月)(火)聞かなかったんだろう。聞かなかったことにより、GOGOMONZのアシスタント横田かおりの独特な『ありがとう』にハマったから良かった。

ファンフラに関しては【あの小林克也が、こんな浦和まで来て毎週9時間も生放送やってくれる】なんて凄いと思って聞き出したけど、大人になって銀座のスタジオでやってると知らされた。まあ、でも面白いし、ちょっと衰えを見せつつ続けてくれてるのできっと永六輔みたいになってくれるのかもしれない。
そして、営業車と共にラジオとの生活にも空白を迎える。

2016年〜
2015年4月に今の夜勤仕事が始まり、最初の健康診断で『痩せないとあんた重病だよ』みたいに言われて、筋トレを始める。勉強同様に無音では出来ない性格なので聞いていたのはYouTubeの音楽だったがそれでは飽きて尺の長いラジオ番組の違法アップロードを聞く。まだ当時はradikoには疑いを持っており、YouTubeのみだった。聞いていたのは『問わず語りの松之丞』や過去の電気グルーヴが出演していたラジオだったり、『土曜朝6時 木梨の会』は初回から聞いていたけど、いつからか聞かなくなった。

2016年、ダイエットに成功してた頃の筆者。

2019年1月8日(火)

細かく言うと1月7日月曜日の夜、付き合っていた彼女(後の妻)と今のところ唯一揉めた記憶の日だった。一般的には揉めた扱いじゃないのかもしれないけど、終電も終わってしまった時間に事態収束の為に親名義の車を使って親に内緒で彼女の家まで片道1時間かけて移動したのです。
その時にとにかく音楽じゃなくてカーラジオにはデフォルトでTBSラジオが流れるようになっており往路24時「東京ポッド許可局」を初めて聞いて、彼女の家へ親に黙って車を借りて走らせてるというシチュエーションに恋のジェットコースター理論じゃないけど興奮して、深夜ラジオの面白さに再び目覚める。その後復路の26時「伊集院光 深夜のバカ力」には懐かしさも重なる。
それまで、YouTubeで聞いていたのでは飽きたらず、筋トレで聞いていた音楽はラジオ番組になりただ、聞いていたのは『問わず語りの松之丞』『土曜朝6時 木梨の会』のYouTubeで違法アップロードされたものだけを聞いていたのだが、ある時を境に『問わず語りの松之丞』がYouTubeで削除されまくった為に意を決してradikoをダウンロード。

丁度、結婚して妻と二人で暮らし始めたタイミングと重なり、家で孤独な時間や家事中に寂しいからという理由で聴取番組が格段に増えていった。

2019年以降聞いている聞いていた番組は以下、勝手に解説するかどうか未定ですが今回はリストアップのみ。
【現時点で聞いている番組】
●ASKA Terminal Melody
●伊集院光のタネ
●伊集院光深夜の馬鹿力
●SMBCモビット presents 竹中直人〜月夜の蟹〜
●川音希はじまりのラジオ
●宮藤さんに言ってもしょうがないんですけど
●Theビートルズ10
●SAYONARAシティボーイズ
●Daisy Holiday
●東京ポッド許可局
●問わず語りの神田伯山
●真夜中のハーリー&レイス
●三菱地所レジデンス presents Sparkle Life
●山下達郎の楽天カード サンデー·ソングブック
●UR LIFESTYLE COLLEGE

【radikoで聞いていた番組】
△伊集院光とラジオと(コーナー)
△激落ちくんのレック presents プロレスの勝ち!neo
▲佐久間宣行のオールナイトニッポン0
△たまむすび
▲藤田ニコルのあしたはにちようび
△#LOVEFAV

△は番組終了と共に聴取終了したもの
▲は飽きてしまって聞かなくなったもの

最後に2022年6月に語った「ラジオリスナーとしての私のセブンルール」がぶれてないので再掲します。

私のラジオセブンルール

①radikoを活用する
このアプリの登場は革命でした。これによって聞けるようになった番組がたくさん、時間帯被っても聞けますからね。でも、そんな感じの時間帯マタギで聞いたことはないですね。

②聴福はある
内容はどうあれ聞きたい声っていうのはありますね。私もまた声豚のようです、吉岡里帆や本仮屋ユイカの声が聞きたいからですが、今回過去を振り返った時に声が好きで聞いてるラジオ多いなと痛感してます。
最近、本仮屋ユイカのラジオにゲスト出演した武田鉄矢が本仮屋ユイカを指して『君は声の女優だ』って話をしてて、妙に納得しました。

ちなみに今好きなアナウンサーはニッポン放送の前島花音とTBSの若林有子です。

③女優ラジオは1時間まで
個人的な解釈ですが女優って普通の感覚の人では出来ない職業なんだと女優ラジオを聞いて痛感してまして(笑)、自分の中での女優イメージを守るという意味で女優さんがパーソナリティのラジオは1時間枠を越えるものは聞かないようにしようと決めてます。
本仮屋ユイカはまさにイメージ変わっちゃった例ですね(笑)。

④ラジオ発の糞ネットニュースは記事だけで済まさない
ラジオだけじゃすまないけどね。根本的に糞ネットニュースとか読まないがベストだけど。ああいったライターは「〇〇って番組で△が◆の話して最高に楽しいから聞いてください」とか書いたほうが良い気がしますが違うんだろうか。

⑤聴き続けるかは4回以内で決める
初めて聞いて「よし、聞き続けよう」と決めた番組ないわけじゃないけどそんな番組はよっぽどフィットしないとありえませんよ。
聞き続けるかどうかの基準の4回はゲストを招いたトーク番組は2週またぎが多かったりするので、ゲスト2人分は聞いて決めようとしてます。もちろん、3回目で決まったりするけど、4回聞いて盛り上がらなかったらレギュラーにはいれない。

⑥不採用でもめげない、採用されたら添い遂げる
ハガキ職人という人は凄いです。私がかつてなりたかったけどなれなかった構成作家になろうとしてる人ですからね、天上人だと思ってます。
だからネタ投稿とかしないわけではなくて、なんか衝動に駆られた時に投稿して「採用されないかしら」とドキドキしながら聴くのもまた醍醐味だと思ってます。
で、もし採用されたらずっと聞き続けようなんて思うのです。あと、感銘受けたりしたら真面目に感想書いたりしてます。
ちなみに今聞いてる番組で読まれたことあるのは
ビートルズ10
空気階段の踊り場
東京ポッド許可局
川音希はじまりのラジオ
ですね。添い遂げるなんて言ってますが昔「たまむすび」に出たこともあるのに聞き続けてませんね(笑)。

⑦毎回聞く義務はない
radikoが出来たことでオンタイムでなくても聞けるようになったし、放送一週間後でも聞けるシステムが出来上がりました。それでもラジオに囚われた生活はしないようになんて思ったりしてます。便利になっても生活の中で流れるメディアという立ち位置は変えないでいたいなと思ったりするのです。

そんなわけで長々と語らせていただきました。ここから短くします(笑)。