アントニオ猪木が逝去して49日が経った。いよいよこの世から去ろうとしている猪木の魂を思ってこの文章をあげることにした今日は2022年11月18日だ。

訃報が駆け巡った10月1日はショックだったが引きづらなかったお葬式の席に限らずだけれどもよく周りの人があまりに泣き過ぎてしまって自分が泣くに泣けないそんなシチュエーションがあると思うけれどもそれに近い状態で、
古舘伊知郎、


有田哲平、


その他プロレスラーと私が見聞きしているメディアに猪木の語り部が多過ぎて、泣きはしないまでも彼らによる猪木語りで悲しみにくれるところまでは行かなかった。

とはいえ、亡くなった直後の週刊プロレスを購入したら

時間がなかったことは汲んであげたいけど、追悼コメントはTwitterからの引用のみという非常に残念な感じで。悔しいから増刊号を購入した。

読みながら気付いてしまったのは自分が猪木直撃世代ではないという事実。金曜夜8時のワールドプロレスリングで猪木や初代タイガーマスクを見た記憶はあるけど、試合の記憶はない。一番古い試合の記憶は従姉妹の家で見た最初のG1クライマックス決勝だった。

つまりは闘魂三銃士と全日本四天王直撃世代だ。有田哲平曰く、アントニオ猪木は1988年8月8日の横浜文化体育館での藤波辰爾戦で心の中では引退していたという。その説に倣えば、本気の猪木を体感していなかった世代である。

プロレスに暗かった時代の人生を照らしてもらったそんなつもりではあるけれど、自分の中の猪木はプロレスをそこまで知らない人たちが持つパブリックイメージと同じだったのかもしれない。残っているのは試合の記憶ではなくて、パフォーマンスと発言の記憶ばかりだ。

だから、今も耳にする猪木のエピソードは知らないことが多かったりする。特に「世間の目と闘っていた猪木」の話には感銘すら受ける。小さな世界だけれども自分も世間のプロレスに対する偏見や肩身の狭さを味わっていたと自負しているからである。その遥か前から猪木は闘ってくれていた。

誰かが猪木を『王貞治、長嶋茂雄に匹敵するスーパースターだ』と言っていたけど、納得の行く表現だ。ONは存命ではあるけれども、きっと私はまだ掘り起こされていない猪木伝説を耳にすることだろう。

実は2021年2月に難病にかかっている報道を聞いたときに猪木の死を覚悟した事がある。丁度自分の誕生月だからとメルカリでアントニオ猪木関連のDVDを当時買い逃してた「燃えろ!新日本プロレス」シリーズを買い漁った。


結果、猪木は死ななかった。

『負けること考えて、闘うやつがいるか』
『元気があれば何でも出来る』
皮肉なもので、最後に猪木を見たのは自分が一番元気の無かった病室でだった。今年の夏の24時間テレビ、最後のテレビ出演だった時。ついでに言うと見たのは翌日の『スッキリ』でのダイジェストだ。
あの日あの時、24時間テレビをチラ見はしていた。「この後は燃える闘魂、アントニオ猪木さん登場です」みたいなアナウンスもあったけど見なかった。猪木ならまたテレビで見られるし、完全復活するからその時で良いじゃん、俺も病の身だからなんて思ってた。それが最後になるとは。その数週間前に無自覚に死にかけたくせに。

後悔はその時、テレビを見なかった事くらいだ。
私の記憶で唯一生でアントニオ猪木を見た体験は2007年の大晦日のさいたまスーパーアリーナ『大みそかハッスル祭り2007』 

だったんだけど、これを書くに当たり確認したら、実はアントニオ猪木ではなくてアントキの猪木で記憶の改竄がなされていたようだ(笑)。見ていたつもりが見ていなかった15年目の真実だ。

やはり自分の中で実物を見てないからか伝説上の人物くらいな意識なのかもしれない、奇しくも今回の訃報を受けて新たにBlu-rayボックスを購入した。なんなら先にご紹介したのも見ていないから、私の中ではこれからが猪木神話の始まりなのかもしれない。

面白いもので映像作品以外の猪木グッズは買ったことがない。


写真にある闘魂タオルは知人からの誕生日祝い、焼酎&湯呑は親友からの結婚祝いである。自分の中ではそれくらい遠いと思っているが知人の中では『猪木をあげれば喜ぶ』と思われていたに違いない。実際凄い嬉しかったけど(笑)。そして、アントニオ猪木酒場のTシャツ。



何はともあれアントニオ猪木の四十九日です、合掌しつつも闘魂の灯は消しませんからと祈りたいと思います。

それにしても四十九日経ってもまだ尚アントニオ猪木の話題は尽きません。死して尚話題に事欠かない人はたくさんいるんでしょうけど、こんなに続く人は見たことないです。安らかにお眠りくださいと合掌しますが、信じなくて良いですか?あなたがいないこと。


また、本屋でジャケ買いで買ったKAMINOGEで猪木の幻影を追いたいと思う。