企業法務担当者の書斎部屋

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読むとは、それにしても果てしないものだ。その読むこと、読んだことをこんなふうに綴ってみることも、またどうやら果てしない。(松岡正剛)

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谷津矢車「廉太郎ノオト」(中央公論新社)

 

この写真と、「荒城の月」くらいしか知らなかった。

 

 

改めて見ると、眉目秀麗な青年である。

伝記によれば、運動神経も良かったらしい。

頭も良い。

音楽も得意。

もはやモテる要素しかない。

 

しかし、彼はわずか23年でその短い生涯を閉じる。

残酷な話である。

 

が、その残酷さはなるべく後まで引っ張られている。

それはそれで1つの大きなテーマがあると思うのだが、

読後の印象は、むしろ爽快感が残る青春小説だ。

 

筆者は時代小説を数多く著しており、

なぜ、明治時代の音楽家の人生を書いてみようと思ったのか、

いきさつは明らかではないが、

その描写力は素晴らしい。言葉から音色が見える。

 

眉目秀麗、モテる要素しかなかったと思われる青年だが、

トップクラスにはトップクラスの悩みがあった。

右手が弱いとか言われても、私には絶対に聴き取れない自信があるが、

主人公には決定的な悩みだった。

 

それを指摘するライバルとのヒリヒリとしたやり取り、

芸大のことなんか全くわからないが、

リアリティがすごくある。

調べてみると、廉太郎に絡む登場人物たちのほとんどは実在の人物であった。

人物描写や絡み方はもちろん筆者の創作だろうが、

ここまで明治時代のトップアーティストとの濃厚なやり取りは、

それだけでも羨ましく思う人は多いんじゃなかろうか。

ちなみに、「エール」に出演している柴咲コウもちょっとだけ出てくる。

 

お雇い外国人のケーベルにも認められ、

ヨーロッパへ、さらなる高みの頂を目指し、

歩み始めた矢先に、死病が襲う。

 

彼の死との向き合い方。

正解のない話であるが、いや、一つの正解であろう。

 

ちなみに、瀧廉太郎の遺作は「憾」という作品であるが、

そこには、憎しみの気持ちは込められていないという。

 

 

 

海がきこえる (徳間文庫) 氷室 冴子

 

 

この本を最初に知ったのは映画からだった。

1993年ですから、高校3年生の時にテレビで放送されたのがきっかけだ。

里伽子が女子グループに問い詰められるシーンとか、ああウチの学校にもあるなあ、

とか思いまながら茫洋と画面を眺めていたのを覚えている。

 

一浪して大学に入り、地方から上京した大学生と友人の家に入り浸る毎日になると、

この映画の舞台となったホームに立つことがしばしばあった。

吉祥寺駅。

中央線で新宿にも出られるし、井の頭線で渋谷にも近い。

友人たちは、この近辺の路線に住んでいたので、自然とこの駅を利用する。

 

そうすると、鮮やかによみがえるのです。

映画のラストシーン。

あの時想いを寄せていた女性とこんなふうに。。。出会うということはなく、

(その女性は東横線だった)

結局、大学4年間こんな恋愛は起きずじまいであったが、

それでも、20数年たって、やはりあの吉祥寺駅を思い出す。

 

映画の後、原作を読んでみたが、ああ、なるほどね。と思ったのでした。

 

当たり前だが、現実の恋愛は吉祥寺駅でハッピーエンドになるわけではなく、

そのあとも色々と、実に曖昧に終わる。

 

この本は、主人公・森崎拓が、自分の恋愛感情を「発見」する物語だ。

しかも、恋に「落ちる」ようなエポックメイキングな瞬間があるわけではない。

森崎拓、親友の松野、武藤里伽子との間でエピソードが交錯しながら、

高校3年生が過ぎていく。

それを大学時代に森崎が振り返る、回想録の形式を取っている。

拓は映画版よりはるかに思慮深い。

そして、ああ、好きなんだ、彼女のことが。

ということにふと気が付く物語である。

それがいい。

 

映画にもそのエッセンスは十分に盛り込まれていると思う。

宮台真司はそのことが気に入らないらしく、

グズグズ、ゴミみたいな評論をこの本の解説に寄せているが、

文字通りゴミのような解説なので読む価値なし。

 

恋愛感情とは実に脆い。

その脆い感情が砕け散った後の、甘酸っぱさとかなつかしさとか、

さわやかさとか、

そういう感情を真っすぐに味わうことができる、

稀有な小説です。

 

作者が51歳で亡くなったことが本当に惜しまれる。

 

 

古関 彰一・豊下 楢彦「沖縄 憲法なき戦後――講和条約三条と日本の安全保障」(みすず書房)

古関彰一という人は、リベラル派なのにリベラルに耳の痛い事を書く人で、彼を一躍有名にした「新憲法の誕生」(中公文庫)(※1)の時にも、「憲法思想の敗北」という言葉を用いて、当時の日本人に“平和憲法”なるものを構想する力がいかに無かったかを鮮やかに喝破して見せたのだが、外交史の専門家との共著となる本書もそんな本である。

 

着目したのはサンフランシスコ講和条約第3条である。

一読すると、沖縄について日本がアメリカの信託統治に同意しているように見えるが、実は、アメリカは沖縄を日本に返還するまで一度も国連に沖縄の信託統治を提案したことはないまま、日本に返還している。それはなぜか?

その方が、沖縄の米軍基地を自由に利用することに、国際法上、まことに都合が良いからであった。

この本を読むまで、恥ずかしながら沖縄の第二次世界大戦後における国際法上の位置づけについて、一度も考えたことがなかったが、日本における米軍基地の約70%が、沖縄に集中するきっかけとなった経緯が講和条約第3条の矛盾から明らかにされていく。

 

そして、講和条約第3条の矛盾に気づいたのは、筆者らが初めてではない。条約締結の前後から、解釈を巡って国会で議論がされており、特に、1956年の日本の国連加盟の際に、国連憲章77条との整合性で大きな議論を呼んでいた。

この問題の解決を図ったのが、1957年の日米共同声明(岸信介首相とアイゼンハワー米大統領との共同コミュニケ)である。

沖縄における日本の潜在的主権を認めつつも、沖縄の米軍施政権の現状維持を承認したこの声明は、1972年の返還まで日本を呪縛していくことになる。

結局のところ、日本政府はアメリカ政府に一度も同条に基づいて沖縄の信託統治の意思の有無を、公式に質したことはなかった。沖縄を安全保障政策の駒とした、忖度の論理が働いていたのである。

 

一方、著者たちは、野党もメディアも、沖縄の核基地化、排他的軍事的必要性を容認してきたと指摘する。今度も耳の痛い指摘ではあるが、いささか酷な主張に思える。

上記の講和条約第3条の無効性を主張したのは野党であるし、本土側の社会党、共産党と連携した沖縄社会党、沖縄人民党らは「対米従属と軍事化の是非」について、一貫した主張を続けてきた。しかしそれは、当時の冷戦構造の中では、実現性の低い政治主張であり、保守政権も巻き込んだ本土復帰運動を展開するには、現実との妥協を余儀なくせざるを得なかった。

ここらへんの事情は、2009年に民主党が政権交代を果たした後に直面した事情とさしたる変わりはない。

 

「憲法なき戦後」の構造は返還後も変わることがなく、いくつもの密約によって、巨大な米軍基地の存在が擁護されていく。

しかし、日本の戦後の経済的繁栄の中で、目を背けられてきた苦い事実をまざまざと見せつけたのが、1995年の沖縄米兵少女暴行事件であった。

冷戦後に役割を見失いつつあった日米安保の、ある意味最大の危機であったのだが、戦後沖縄が抱えていた矛盾は、アメリカ政府のクールな軍事戦略と、日本の新保守主義政権の現実主義的打算にまたもや回収されかけた。(※3)

ところが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件に端を発した、アメリカ軍の絶望的かつ破滅的な軍事行動が状況を一変させた。テロ組織を正規軍で屈服させようという、軍事的合理性の欠片もない戦略は、2020年の今、ドナルド・トランプという、史上最も無能な大統領の手によって破綻しつつある。

普天間基地を返還する日米合意から24年経っても一歩の動かない。

 

日本が続けていた、沖縄の「憲法なき戦後」もまた、もはや限界である。

 

〔注釈〕

※1・・・数度の改訂を経て、現在、「日本国憲法の誕生」(岩波現代文庫)とう書名で出版されている。

※2・・・日本政府の公式見解によれば、判決の全文を受諾しており、日本政府は侵略戦争を国際法上は公式に認めていることになる。

※3・・・この時期の日米政府の内部事情は、船橋洋一「同盟漂流」(岩波現代文庫)に詳しい。

 

 

 

 

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