古関 彰一・豊下 楢彦「沖縄 憲法なき戦後――講和条約三条と日本の安全保障」(みすず書房)
古関彰一という人は、リベラル派なのにリベラルに耳の痛い事を書く人で、彼を一躍有名にした「新憲法の誕生」(中公文庫)(※1)の時にも、「憲法思想の敗北」という言葉を用いて、当時の日本人に“平和憲法”なるものを構想する力がいかに無かったかを鮮やかに喝破して見せたのだが、外交史の専門家との共著となる本書もそんな本である。
着目したのはサンフランシスコ講和条約第3条である。
一読すると、沖縄について日本がアメリカの信託統治に同意しているように見えるが、実は、アメリカは沖縄を日本に返還するまで一度も国連に沖縄の信託統治を提案したことはないまま、日本に返還している。それはなぜか?
その方が、沖縄の米軍基地を自由に利用することに、国際法上、まことに都合が良いからであった。
この本を読むまで、恥ずかしながら沖縄の第二次世界大戦後における国際法上の位置づけについて、一度も考えたことがなかったが、日本における米軍基地の約70%が、沖縄に集中するきっかけとなった経緯が講和条約第3条の矛盾から明らかにされていく。
そして、講和条約第3条の矛盾に気づいたのは、筆者らが初めてではない。条約締結の前後から、解釈を巡って国会で議論がされており、特に、1956年の日本の国連加盟の際に、国連憲章77条との整合性で大きな議論を呼んでいた。
この問題の解決を図ったのが、1957年の日米共同声明(岸信介首相とアイゼンハワー米大統領との共同コミュニケ)である。
沖縄における日本の潜在的主権を認めつつも、沖縄の米軍施政権の現状維持を承認したこの声明は、1972年の返還まで日本を呪縛していくことになる。
結局のところ、日本政府はアメリカ政府に一度も同条に基づいて沖縄の信託統治の意思の有無を、公式に質したことはなかった。沖縄を安全保障政策の駒とした、忖度の論理が働いていたのである。
一方、著者たちは、野党もメディアも、沖縄の核基地化、排他的軍事的必要性を容認してきたと指摘する。今度も耳の痛い指摘ではあるが、いささか酷な主張に思える。
上記の講和条約第3条の無効性を主張したのは野党であるし、本土側の社会党、共産党と連携した沖縄社会党、沖縄人民党らは「対米従属と軍事化の是非」について、一貫した主張を続けてきた。しかしそれは、当時の冷戦構造の中では、実現性の低い政治主張であり、保守政権も巻き込んだ本土復帰運動を展開するには、現実との妥協を余儀なくせざるを得なかった。
ここらへんの事情は、2009年に民主党が政権交代を果たした後に直面した事情とさしたる変わりはない。
「憲法なき戦後」の構造は返還後も変わることがなく、いくつもの密約によって、巨大な米軍基地の存在が擁護されていく。
しかし、日本の戦後の経済的繁栄の中で、目を背けられてきた苦い事実をまざまざと見せつけたのが、1995年の沖縄米兵少女暴行事件であった。
冷戦後に役割を見失いつつあった日米安保の、ある意味最大の危機であったのだが、戦後沖縄が抱えていた矛盾は、アメリカ政府のクールな軍事戦略と、日本の新保守主義政権の現実主義的打算にまたもや回収されかけた。(※3)
ところが、2001年9月11日のアメリカ同時多発テロ事件に端を発した、アメリカ軍の絶望的かつ破滅的な軍事行動が状況を一変させた。テロ組織を正規軍で屈服させようという、軍事的合理性の欠片もない戦略は、2020年の今、ドナルド・トランプという、史上最も無能な大統領の手によって破綻しつつある。
普天間基地を返還する日米合意から24年経っても一歩の動かない。
日本が続けていた、沖縄の「憲法なき戦後」もまた、もはや限界である。
〔注釈〕
※1・・・数度の改訂を経て、現在、「日本国憲法の誕生」(岩波現代文庫)とう書名で出版されている。
※2・・・日本政府の公式見解によれば、判決の全文を受諾しており、日本政府は侵略戦争を国際法上は公式に認めていることになる。
※3・・・この時期の日米政府の内部事情は、船橋洋一「同盟漂流」(岩波現代文庫)に詳しい。
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