ドラクエIIIの世界の旅の扉と各国家の関係 | どらくえ考察ブログ

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がんだまぁBlogから派生したドラクエ考察ブログです。
かつてはアーケードカードゲームの日記に使っていたので過去記事に残っています。

 ドラクエIIIでは、アリアハンがかつて世界全土を支配していたという、直接ストーリーにはあまり関係ない裏設定があります。ただ国家間で戦争が起こり、その後国交が断絶したことによって、各地の旅の扉が最後の鍵でしか開かない扉で封鎖されているという設定になっていて、それが自由に世界を移動できない理由にされてはいます。
 なぜそのようなことになったのか、そうなる前は各国家はどのように交流していたのかなどを考察してみたいと思います。


 まず、物語のスタート地点であるアリアハンは、「いざないの洞窟」が封印されているため旅の扉が使えず、船でもない限り大陸から出ることができません。そんな状態で勇者を旅に出した理由もよくわからんのですが(笑)、盗賊の鍵と魔法の玉を与えるところまで試練だったりしたのかもしれません。
 ここからはロマリアに行けますので、ロマリアとの交流はこのいざないの洞窟を介して行われていたものと思われます。ここは魔法の玉でないと壊せない壁で塞がれていたのに、その中では魔物が出現すること、ロマリア側の旅の扉が特に門番もなく設置されていることから、この旅の扉を通して魔物がアリアハン大陸に渡ってきてしまうため、それを防ぐために壁を作ったのかもしれません。ロマリア側が旅の扉を守らないのは、アリアハンとの国交が断絶している証でしょうか。

 アリアハン大陸にはレーベの南にもう一つ旅の扉がありますが、これはポルトガ対岸の灯台に飛ぶだけで、そこから海を渡らないとポルトガには行けないため、交流にはあまり使えないような気がします。もしかしたら昔は橋か渡し舟があったのかもしれませんが。灯台ということになっている以上それは船のためにあるのでしょうし、海洋国家であるポルトガが建設したものだとは思います。

 いずれにせよ、アリアハンは旅の扉を塞いでいるため他の大陸との移動は海路しかありません。ナジミの塔は海路からの侵入を監視するために作られたのかもしれませんね。アリアハンの城と直接つながっているのはアリアハン側の施設である証明とも言えますし、レーベとも繋がっているのは脱出経路的なものを兼ねているのかもしれません。

 もう一つ旅の扉以外での移動が難しいのが、サマンオサです。こちらは周囲を山で囲まれているため海路からの侵入もできず、旅の扉を封印すると完全に外界と遮断されます。その結果ボストロールに乗っ取られても逃げ場がなく、ただ支配されるしかなかったとも考えられます。周囲のモンスターの強さや、勇者サイモンが獄死させられたことから考えても、サマンオサはかなり早い段階からバラモスの手にかかっていたことになるんじゃないかと思います。逆に言えば、同じように隔離されたアリアハン大陸のモンスターが最も弱いのは、バラモスの支配が及んでいない証であり、勇者が生まれルイーダの店があるのは、ここが世界で最も安全で初心者が旅立ちやすいからなのかもしれません。
 ちなみにサマンオサ大陸の旅の扉は、グリンラッド南のほこらに飛び、そこからはオリビアの岬とポルトガ・ロマリアの関所に飛びます。サマンオサはポルトガ・ロマリアと交流があったのでしょう。直接旅の扉を繋げず、別のほこらを介しているあたりに用心深さが見られます。また、オリビアの岬のほこらはそのままほこらの牢獄への海路に使っていたと思われ、サイモンが投獄されたのもここ経由だったのかなと思います。またこのほこらからは陸路ではどこにも行けませんが、もし橋がかかっていたらアッサラーム~イシスの方へ抜けられるため、そちらの地方へのアクセスであった可能性もないわけではありません。

 あと旅の扉があるのはテドン北部とジパング西を繋ぐものだけで、これの存在意義は割と不明です。ジパングはガラパゴスすぎて他の国と交流があったか怪しいですし、テドン側のほこらはどこにも繋がっていません。ポルトガが海路を使ってバハラタ・ダーマ側へのアクセスに使っていたと考えるには変な距離ですし、ネクロゴンドがバラモスに支配される前は陸路が繋がっていたのかもしれません。テドン・ネクロゴンド・イシスからは等距離っぽい位置にあるのでこの辺の地方から東方への共有アクセス路だったりしたのかもしれません。

 いずれにせよ、この旅の扉で繋がっていたのはポルトガ・ロマリアを中心に、それぞれがアリアハン・サマンオサということになり、この4国は交流があったと考えられます。そして、かつて主導権を握っていたアリアハンがロマリア・ポルトガとしか繋がっていなかったことを考えると、主導権はアリアハンにあっても、実質的な世界の経済的な中心はポルトガ・ロマリアの所謂ヨーロッパ地方だったのでしょう。
 アリアハンがどのように世界を支配していたのか定かではありませんが、旅の扉を設置したのがアリアハン(かつてのムー文明?)だったとしたならば、ポルトガとロマリアへのアクセスを作り出した上で、両国を制圧し、そこから支配を広げていったと考えられます。サマンオサとは直接旅の扉で繋げなかったのは、武力が強大であるため直接つなげるのは危険だと判断したからなのかもしれません。グリンラッドはかつて戦場だったのかもしれませんね。オリビアの岬の旅の扉があるのは、そこからイシス・アッサラームの戦力を送り込むためだったのかもしれません。
 「知られざる伝説」によるとサマンオサがアリアハンと戦争をしたのはバラモスの影響下に落ちた後からだったということですが、旅の扉がその前からあったとすれば、そもそも作られた理由がサマンオサを攻め落とすためだった可能性があるのかなと思います。

 つまり、ドラクエIII世界の旅の扉はアリアハンが作った可能性が高く、その技術力をもって世界を支配したんじゃないかなという気がします。旅の扉は大賢者クラスなら作れるというのがドラクエVIで設定されていますし、そういうハイレベルな賢者がかつてのアリアハンにはいたのではないでしょうか。
 その後サマンオサがバラモスに支配されアリアハンに反旗を翻し、結果的に両国は旅の扉を封鎖、それに連動してポルトガ・ロマリアとアリアハンの関係も悪化して同じく旅の扉を封鎖したというところでしょうか。
 同じく「知られざる伝説」だと世界を支配したのはムーの民で、オリハルコン等の高い技術をもって世界を支配したものの、行き過ぎたためにルビスの怒りに触れて大陸を沈められ、善良な民はアレフガルドに移住したということになっていますが、これがどのくらい真実なのかははっきりしません。ムー=アリアハンなのであれば、かつてアリアハンを支配していた人々のうち、悪しき民は処罰され、高い技術や魔力を持っていた民はアレフガルドに移住し、残った無害な一般人だけがアリアハンに残ったというところでしょうか。たまたま残っていたわずかなムーの民の生き残りがオルテガだったってことですかね。

 アリアハンによる支配体制を打破し、鎖国状態にもっていくのがバラモスの策略だとしたら、これにより各国を分断し、少しずつそれぞれの国を裏から支配していこうという思惑がバラモスにはあったのかもしれません。ロマリアやポルトガ、アリアハンには特に魔の手は及んでいませんでしたが、周辺モンスターの強さの順や海のモンスターが出現するようになり海路の使用がほぼ不可能になったこと、カルロスとサブリナが呪われていたということから、次のバラモスの標的はポルトガだったのかもしれません。

 いつからこの鎖国体制になったのかは定かではありませんが、オルテガとサイモンが同時代の存在だったと思われることから、この時点ではまだ交流があったのではないかと思います。オルテガは割と自由に旅の扉を使って旅をしていたのかもしれません。最後の鍵も持っていなかったでしょうしね。オルテガが火山に落ちたということを知っていた人間がいたか疑わしく、その事実をアリアハンに届けたのはバラモス側の策略のような気がします。サイモンとオルテガの死で絶望を与え、さらにサマンオサをコントロールしてアリアハンとの断絶を作り出したという流れでしょうか。そんな状態でよくオルテガの息子を旅立たせようとしたなぁという気もしますが、ただバラモスを倒すだけでなく、ロマリアやポルトガとの国交回復も役割も期待されていたのかもしれません。実際、ロマリア王とは金の冠を取り戻すことで、ポルトガ王とは黒胡椒を届けることで和解していますしね。ちなみにイシスの女王とも仲良くなりますし、ジパングとサマンオサも悪政から救っていて、割と勇者が(エジンベア以外の)国交回復に大きな役割を果たしていることは間違いないです。しかもリメイク版ではオルテガも生き返るので割とゾーマ打倒後のアリアハンの体制は盤石だったりするのかもしれません。

 現実世界をベースにしているからか、ドラクエIIIの世界観は非常に考察しやすいですね。この世界のその後は(ロトの紋章くらいでしか)描かれていないので、何か別作品で見てみたいなぁとは思います。というかIIIの世界を自由に旅するオープンワールド系のゲームかオンラインゲームをやってみたいのですが、作ってくれませんかねぇ。