思いつきのまま、ツラツラ描いて

訳のわからない物語ができました。

一応ラストまで書いたので記録します。


暇つぶし… モノズキな人だけ

読んでみてください 滝汗





「小さな八百屋さん」 2024.5.17


小さな八百屋の八田さんはいつも考えてました。

駅前の大きなスーパーとは違う八百屋さんを目指してました。


昔、隣には、お米屋さん、花屋さん、たい焼き屋さん、時計屋さん、それぞれのお店が並んでました。

大型スーパーができて、お米屋さんと花屋さんは呆気なく閉店してしまいました。今はもう息子さんや娘さん夫婦の家に引越しもして姿を見ることもなくなりました。

たい焼き屋さんは、一時期お休みが多かったのですが、息子さんが戻ってきて再び店の前にお客さんの列ができるようになりました。


八百屋さんの大きな売上は、町の飲食店や近くの保育園の給食への食材お届けでした。野菜クズは近くの小学校のウサギや鳥、亀のエサとして使われてました。たまに野菜にバッタやアゲハ蝶の幼虫が付いていると昆虫好きの少年にあげたりしていました。

しかし数年前、保育園は町の制度の見直しで個人商店の八百屋さんとの取引が終了となってしまいました。残念ですが、これも時代の流れです。


八百屋さんは無駄なく野菜を売るために色々工夫します。新タケノコはそのまま売る分と、小さかったり傷ものは切って八百屋さん自らぬかで茹でて料理しやすいように売りにだします。

ごぼうのささがきも水にさらして売ったり、自家製漬け物も商品にします。最近はたまに英語の説明も書いた値札を立てます。外国人のお客さんが買ってくれます。


八百屋さんは新鮮な野菜売りとして威勢よいかけ声も大切にしています。昔は、「奥さん」とか「お母さん」とか女性のお客さんに声かけしてましたが、時代柄、今は、「お嬢さん」「お姉さん」に さらに「お客さん」と呼び方も変えました。


外国のお客さんとは新たな発見もあります。


さつまいもはすぐ食べられるように、焼き芋にすると、外国人のお客さんがたいへん感動してちょくちょく買ってくれるようになりました。甘い芋は外国では無いらしく、お菓子のように気軽に食べられるさつまいもは日本ならではの野菜なんだと八百屋の八田さんは知りました。


ある日、高校生の女の子が店にやってきました。キャベツを買って、何やら言いたげな様子でこちらを見ます。

「あの、お願いがあります。貼紙を貼って欲しいのです。」そう言って猫の写真を大きくしたポスターを手提げから出してきました。

「ウチのネコは、キャベツが好きなんです。だから八百屋さんに寄ってくるかもしれないです。」

初めてのお願いで八百屋の八田さんは驚きましたが快く引き受けました。


またある日、大荷物をもった青年がやってきました。

災害の跡地の畑でできた野菜を販売してほしいというお願いでした。八百屋の八田さんは驚きつつ、青年の持参した野菜をまじまじと確認しました。小ぶりながらしっかりした美味しいピーマンやアブラナでした。


八百屋の八田さんは奥さんを亡くして子供達は家を出ており今は一人暮らしです。誰かに相談する必要もなくなりました。

青年の野菜は駅前スーパーに断られてました。八百屋の八田さんのライバルは駅前スーパーです。はりきって販売を引き受けました。


そんなことをきっかけに八百屋の八田さんの店には、はり紙が増えて行きました。

はり紙からお客さんとの会話が増えました。


小雨ふるある日、ランドセルを背負った少年が傘もささずに歩いていました。学校を出てからの帰り道、虫とりに夢中になり、家に帰ろうとしたら鍵を学校に忘れたことに気づき、学校に行きましたが、もう校門の鍵は閉められ中には入れませんでした。仕方なく家に帰ってお母さんを待つことにしました。

その姿を八百屋の八田さんは気にかけて少年に声をかけました。

少年は事情を説明しながら、ポケットからハンカチで包んだバッタを見せてくれました。


その瞬間、八百屋の八田さんは目の前が真っ暗になり気を失いました。


気がつくと八百屋の八田さんは、八百屋の軒先に住むバッタに戻ってました。

バッタは八百屋に住み着いてから人間に憧れて、人間になった夢を見ていたのでした。