散歩中、街路樹の桜の木に登り
さくらんぼを採る子供たちに遭遇した。
バングラデシュの人だった。
バングラデシュは英語とベンガル語。
子供たちは、英語、日本語、ベンガル語を流暢に話す。
ママさんは、英語は慣れてるが、日本語はすこしだけと話していた。
日本滞在は3年くらい?
木登りする子供の姿に私は、自分も木登り好きだったから、親近感を感じて近寄ってしまった。
少年がくれたさくらんぼ🍒
しばらくして、高齢のご婦人が通りがかり
「ま、枝 折ってるんじゃないの、まったく」
と つぶやき
少年たちは木から降りた。
確かに街路樹は 公共の木。
しかし、今は 樹木の剪定もする季節。
毛虫問題もある。
今日も町を多くの外国人が歩き、
日本で生活している人々も本当に増えた。
ふと思う。
管理社会の日本。
平成の縛りはきつかった。日本人ばかりだから
日本の慣習が認知されて、管理社会は実現されていた。
バングラデシュという国が、日本ほど
管理社会とは思えない。インドと同じくIT先進国の方向にあり国民のIT知識や技術はめざましいものがあるらしい。
英語も話せる土壌から海外への移住も容易いのだろう。
コロナ禍の社会から、合理化、スピード化に翳りが出始め、命を脅かす感染病は、ルール優先社会を緩和させた。
入国規制も緩和され、働く現場にも外国人は多い。
工事現場のヘルメットの名前にも、カタカナでやけに長い名前の作業員がいたり、よく見れば顔は異国の彫りの深い顔。
外国人にこまかな日本の文化習慣は
どこまで伝わるのだろう。言葉の壁もある。
多言語の国インドでは、主張するコミュニケーションもあり、自分の意志を伝えていくらしい。
また移民の多いヨーロッパの国も、多言語で主張していくコミュニケーションがあるらしい。
ただ主張もするが、気さくに相手の懐に入る感覚も馴染むコツの一つ。
先日の電車内での出来事。
座っていたヨーロッパ系男性が、
高齢者が電車に乗り込んできたら、すぐさま無言のままに、でも笑顔と手招きで高齢男性に席を譲った。
話せなくてもコミュニケーションをとる感覚が習慣化していると感じた。
亡き落語家の立川談志さんは、
「できない言い訳」探し の話を何かでしていた。
「やめる言い訳」もあったかな🙄
その話は私には印象的だった。
正直に「やりたくない」気持ちをひた隠して事情を伝える円滑技。
電車内で席を譲って外国人男性は、気持ち良い笑顔だった。席を譲りたい!て意思表示。
日本人は危うい発言をしないように、迂闊に足を引っ張られないように、本来の気持ちを封印する癖をつけてしまったんじゃないか?
人の善意につけこむ詐欺も多いけど。
昭和、平成、令和と生き延びたけど、
デジタル化の波に乗れないと生きていけないといが、一言語しかできないのも、外国の人とのコミュニケーションもとれないのも、まずいかも…😓としみじみ感じている。
大きな眼の少年たちは気さくだった。
バングラデシュの食事は、
「ライスとフィッシュが多いよ」て。