日比谷公園は10代より何十回と来ている

好きな公園です。

今年春、日本の都道府県の木がある林を知りました。

(かもめの広場 噴水近くです)





このように県名と木のネームプレートを見かける事ができます。



で、この広い公園の歴史が気になりました。


安土桃山時代、ここは日比谷入江といわれる海域でした。

江戸時代、土地開発が始まり埋立地となると錚々たる藩の大名屋敷がたち並びました。

明治時代になり、大名屋敷が廃止されると陸軍操練所となりました。

その後、官庁の建設の話もでましたが、元々が入江で地盤が悪かったため実現しませんでした。

1893年 陸軍の払い下げを受けて日比谷公園が誕生することになりました。


名だたる候補者の中から、立案はドイツ留学から帰国したばかりの本多静六が選ばれました。

そして日比谷公園は、ドイツ式庭園とお堀を心字池にした日本式庭園をとりいれた公園として誕生しました。

日本で初めての洋風庭園と言われています。



1866.8.11〜1952.1.29

林学者(日本初)、造園家、投資家



日比谷公園を設計した本多静六は

北海道 大沼公園

福島 鶴ヶ城公園

埼玉 羊山公園

千葉 清水公園

東京 明治神宮

金沢 卯辰山公園

ほか多数の大規模公園を手がけ「公園の父」と

呼ばれています。


鉄道を雪から守る防雪林の提案もされた人です。

今回色々読み、日本の林業はドイツをお手本にしていることを知りました。

森林の広さは広大とはいえませんが、ドイツは林業が盛んで自給率も高いそうです。


日露戦争後、日比谷公園には献木もたくさん

されています。推定 公園内3000本以上の木があると言われています。


今、神宮外苑の再開発で3000本の木の伐採計画があるようですが、今、本多静六が

生きていたら、どう思ったのだろうかと

私はふと思いました。