尾鷲市・熊野古道センターで 『 特別展示室企画展~岸田日出男が遺したもの 』ご案内 | 五月亭日記

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三重県尾鷲市在。写真「フォト紀鷲」、そしてギター「尾鷲演歌楽団」で楽しんでます。尾鷲周辺のよいとこ、イベント、ニュースなどご案内。

 尾鷲市向井、熊野古道センターで開催されます 『 特別展示室企画展~岸田日出男が遺したもの 』をご案内しましょう。

 

 

 

 

  『 特別展示室企画展

      ~岸田日出男が遺したもの 』

 

 

 

 

         とき:1月27日(土)~3月31日(日) 

       ところ:尾鷲市向井 熊野古道センター 特別展示室

      チケット:無料

 

 

 

 

 

 

 岸田日出男は吉野熊野国立公園指定に尽力し「吉野熊野国立公園の父」ともよばれている、大正から昭和にかけて活躍した人物です。

 

 本展示においては、大淀町教育委員会の協力を得て、岸田日出男が遺した戦前の吉野・熊野地域の記録や自筆記録、ニホンオオカミの頭骨・植物標本など標本類を展示します。

 

 岸田日出男を通して、吉野熊野国立公園の価値を再発見・再確認してただく機会となれば幸いです。

 

 岸田日出男は、明治23年(1890)に奈良県南部にあった高見村で生まれました。吉野郡役所の林業技術官となっていた25歳のとき植物学者白井光太郎の講演「吉野名山の保護について」を聞き、山岳渓谷や森林のもつ美しさと価値に刮目、その豊かな自然を守るため生涯をささげました。

 

 当時、紀伊山地の自然は森林開発やダム建設などによって急速に失われようとしていました。山林伐採による保水力の低下がもたらしたとされる十津川大水害で熊野本宮大社が流失、大斎原から現在地に移転したのも明治22年(1889)のことです。

 

 急激な開発に抗するために「国立公園」にして法律で守りたいと考えるようになった岸田日出男は、多くの仲間とともに紀伊山地をくまなく歩いて調査し資料を作成、歎願などの政治的活動も要となって行ったようです。

 

 幾多の苦労を経て国立公園指定を受けたのは昭和11年(1936)、45歳の時でした。そのあとも、止まらない開発・ダム建設への反対運動など活動をつづけましたが、昭和34年(1959)道半ばにして急死。68歳でした。

 

 

 

※付属講演会「岸田日出男のエコロジー」

 

   とき:3月3日(日) 13:30~15:00

   ところ:熊野古道センター 映像ホール
   参加料:無料
   定員:80名(要申込・先着順)
   講師:松田度氏(奈良県大淀町教育委員会 学芸員)

 

 

 

 

     チケット無料です。

 

     ぜひお出かけください。

 

 

 

 

申込・問合せ 熊野古道センター 尾鷲市向井12-4 ☎0597-25-2666