きょうは、晴れ。あしたは曇りのち晴れでしょう。
きょうの尾鷲の最高気温は19.7℃(最低気温は8.0℃)。
全国トップは沖縄県の盛山で27.6℃。三重トップは紀北町の長島で20.3℃。
ただいまの尾鷲の気温は11.8℃。
『 雑学ゼミナール 』
【「春秋に富む」の意味・由来】
「春秋に富む」(しゅんじゅうにとむ)とは、「年齢が若くて、将来性がある」という意味の言葉である。
この場合の「春秋」は単に「春と秋の季節」という意味ではなく、「春秋」で「一年」を表す言葉であり、そこから「年月」や「年齢」という意味を持つ。そして、この「年月」はすでに経験した時間ではなく、未来の時間のことである。
そのため、「春秋に富む」は「年老いて経験が豊富」という意味ではなく、「年が若くて将来が長い」という意味である。そこから、「若くて、将来性がある」「将来が希望に満ちている」という意味で使われる。
この「春秋に富む」という言葉は、中国の紀元前の歴史書『史記』(しき)に登場するとても古い表現である。また、明治時代の歌人・詩人である石川啄木(いしかわ たくぼく、1886~1912年)の小説『菊池君』(きくちくん)の中に、「今の若い者は、春秋に富んで居る癖に惚れ方が性急(せっかち)だ」という一文がある。
「春秋に富む」とは逆に、「年老いている」「年齢が高い」という意味で「春秋高し」(しゅんじゅうたかし)という言葉もある。
尾鷲市向井、熊野古道センターで企画展『 写真で懐古・故郷の暮らしと風景~熊野市~ 』が開かれているので、観てきました。
展示会場入り口。
熊野市誕生。
本町通り。
駅裏。
有馬町。
獅子岩。
鬼ケ城。
浜のいただき。
大敷網。
捕鯨。
紀州鉱山。
台風等被害。
全景。
学校。
神川町。
矢ノ川峠。
紀勢本線全通。
全景。
会場の熊野古道センター。
三重県熊野市は2005年11月1日に旧熊野市と紀和町が合併し誕生しました。紀伊半島の南東部に位置し、北は尾鷲市・奈良県、南は御浜町・紀宝町、西は和歌山県・奈良県と接しています。
熊野市の東側は熊野灘に面しており、リアス式海岸となっている北部には捕鯨で栄えた二木島湾や柱状節理が見事な名勝楯ヶ崎、南部は熊野古道伊勢路の一部でもある美しい海浜、七里御浜が続いています。七里御浜でも比較的波が穏やかな木本町の脇の浜は、各地からの物資が集まる船着き場であり、かつては多くの漁船や巡航船で賑わいました。
山間部の神川町では昭和の初めごろ、伐採した材木を筏に組んで北山川から新宮に下る筏流しが見られました。また、同じく山間部の紀和町板屋には奈良時代から昭和53年まで続いた鉱山があり、昭和40年頃にはおよそ一万人が暮らす鉱山の町として大変栄えました。
市街地である木本町は、江戸時代から奥熊野の中心地として栄え、「町割り」で整理された古い町並みが現在も残っています。昭和15年の紀伊木本駅(現在の熊野市駅)の開業を機に造られた木本記念通りは戦前にも関わらず二車線・歩道付きという近代的な造りで、やがて駅を利用する観光客を目当てに多くの商店が集まるメインストリートとなりました。一方、同じく市街地である井戸町は60年ほど前まで水田が広がっており、山を削って土地を埋め立てたことで今の姿になっています。その後、学校や県庁舎、警察署、郵便局などの施設が建設され、熊野市の中心として特に大きく様変わりした地域です。
今回の企画展では、大正~昭和にかけて撮影された熊野市の古写真を紹介します。熊野市の人々の暮らしとそれを取り巻く町の景観、未来に伝えていきたい文化財などを知っていただく機会とします。【熊野古道センターHPより】
同展は12月4日(日)まで。
開館時間9:00~17:00。
チケット無料ですので、
ぜひお出かけください。
問合せ 熊野古道センター 尾鷲市向井12-4 ☎0597-25-2666