きょうは、晴れ時々曇り。あしたは曇り一時雨でしょう。
きょうの尾鷲の最高気温は18.5℃(最低気温は10.6℃)。
全国トップは沖縄県の所野で27.2℃。三重トップは伊賀市の上野で23.1℃。
ただいまの尾鷲の気温は14.9℃。
『 雑学ゼミナール 』
【お台場が3区に分割している理由】
東京のレインボーブリッジを渡ったところにある「お台場(おだいば)」は、東京都の港区・品川区・江東区の3区から成る。
お台場は東京を代表する観光地として有名であるが、「お台場」は地域名であり、「台場」は港区の町名となる。お台場は、もともと海上の砲台があった場所であり、「大砲をのせる台」という意味である。
1853年(嘉永6年)にアメリカからマシュー・ペリー提督(Matthew Perry、1794~1858年)が艦隊を率いて鎖国をしていた日本へ来航し、幕府に開国の要求を迫った。これをきっかけとして、品川沖に海上砲台が建設された。
「お台場」は正式には「東京臨海副都心」と呼ばれる地域で、1979年(昭和54年)に人工の埋立が完成した。当時、その土地は「13号地」と呼ばれ、激しい土地の争奪戦が起きていた。
13号地の工事の際、資材は江東区の道路を通って運ばれ、同区の住民に迷惑をかけたという事実がある。江東区の主張としては、埋立工事に全面的に協力したことである。
一方、お台場の北部には港区の町である台場がある。そして、砲台があった場所に台場公園があり、この公園は港区の管轄である。また、品川区と13号地は海岸道路という海底トンネルで繋がっている。
このように港区・品川区・江東区の3区それぞれの主張があり、3区は相互に退かなかった。この問題が解決したのは、13号地の完成から3年後の1982年(昭和57年)のことである。
港区と品川区は13号地の一部を獲得する形となり、お台場の北部が港区、西部が品川区となった。そして、残りの南部の土地が江東区となった。このような経緯で、お台場は現在のように3区で分割されている。
ちなみに、「お台場」の「お」にも意味があり、徳川幕府の土地であったことから敬意を表すために「御(お)」が付けられる。
尾鷲市向井の熊野古道センターで、企画展 『 西国巡礼と伊勢路 』が開かれているので、観てきました。
「矢立」。腰に携帯する筆記具。
左は「化粧小物」。右は「携帯用衣装掛け」。
左は、背に負う箱を背負うときに背中がすれないように着用する上着で「笈摺」(おいずる)。
「納札」。札所に参拝した印に収めた札。
「関所往来手形」。旅行時に必要な身分証明書。
「道中日記」。
「西国道中図」。
右下をアップにすると、おわせ、八き山、三木、そ祢などとある。
「伊勢より熊野路道中記」。
「四国三十三霊場掛軸」ほか。
「西国三十三所巡礼」とは、近畿地方2府4県と岐阜県に点在する33ヶ所の観音霊場を巡礼する、日本最古の観音巡礼です。
伝承では養老2年(718)に長谷寺開基の徳道上人が開き、その後途絶えましたが、花山院が再興したとされます。札所の順序は、院政期の熊野詣の影響により、那智山青岸渡寺が第一番となり、15世紀ごろに現在のものに確立しました。
江戸時代になると、庶民が旅行に出かけることが容易になり、西国巡礼もより盛んに行われました。関東や東北地方の巡礼者はまず伊勢神宮に参拝した後、熊野古道伊勢路を歩き、第一番札所の青岸渡寺を目指しました。
巡礼者のため、数多くの西国巡礼に関する道中記(道中案内記)が出版され、これら道中記には熊野古道伊勢路についても案内されています。また、巡礼者は道中日記を書き、旅の行程や旅費などを書き留めています。
熊野古道センター所蔵の道中記(道中案内記)・道中日記などを解読・展示することで、江戸時代の西国巡礼と熊野古道伊勢路について紹介しています。
同展は4月10日(日)まで。
開館時間9:00~17:00。
チケット無料ですので、
ぜひお出かけください。
問合せ 熊野古道センター 尾鷲市向井12-4 ☎0597-25-2666