尾鷲の町案内347《ポストのある風景》 | 五月亭日記

五月亭日記

三重県尾鷲市在。写真「フォト紀鷲」、そしてギター「尾鷲演歌楽団」で楽しんでます。尾鷲周辺のよいとこ、イベント、ニュースなどご案内。

きょうは、晴れ。あしたも晴れでしょう。

 

きょうの尾鷲の最高気温は27.6℃(最低気温は18.8℃)。

 

全国トップは岐阜県の揖斐川町で33.9℃。

 

三重トップは亀山で32.7℃。これは全国第7位。

 

ただいまの尾鷲の気温は23.1℃。

 

 

 

 

        『 雑学ゼミナール 』

 

        【日本にカレーライスが伝わった歴史】

 

 日本人の国民食とも言われる「カレーライス」は、カレーをご飯にかけて食べる料理である。その歴史の一説を確認してみる。

 日本で主に食べられるカレーライスは、カレーの本場インドの料理を元にイギリスで生まれ、日本で独自に変化した料理である。そのため、日本のカレーライスはイギリスから伝わったものである。

 様々な種類があるが、インドでは一般的にスープ状のカレーを米やナンと一緒に食す。一方、イギリスではパンが主食であったが、インドを長く植民地にしていたことで、インドの米を食べる文化とともに、スープ状のカレーを食べる文化がイギリスに伝わった。その後、イギリスでとろみのついたカレーが誕生した。

 カレーにとろみがついた理由として、イギリスの海軍のメニューに採用されたことが挙げられる。船の揺れに対応するために、とろみがつけられたという説である。船の上で食べようとした時、スープ状のカレーだと船が揺れた時にすぐにこぼれてしまう。そこで、こぼれないように小麦粉でとろみをつけることが考案された。

 イギリスで生まれたとろみのある「カレー」と、インドから伝わった「米」がイギリスで結びつき、「カレーライス」が誕生した。そのとろみのついたカレーライスが日本に伝わって来たのは江戸時代の終わり頃とされる。

 カレーライスが日本中に広まった理由の一つとして、兵士の食事に採用されたことが挙げられる。カレーライスは一度に大量に作ることができ、兵士の食事に最適であった。当時のレシピにも小麦粉を使っていたことが記されており、イギリス式のとろみのついたカレーライスを食べていた。

 戦地で作り方を覚えたカレーライスを家族に食べさせたことで、日本中の家庭にカレーライスが広まった。しかし、その後に太平洋戦争が起きたことで、物資が不足し、スパイスの輸入経路も断たれた。さらに、食料統制が行われ、軍用以外のカレー粉の製造・販売が禁止された。そのため、庶民は戦時中にカレーライスを食べることができなかった。

 その後、終戦を迎え、街には少しずつ物資が戻り、学校の給食にも再びカレーライスが登場した。子ども達の顔にも笑顔が見られ、平和とともにカレーライスが帰ってきた。そして、とろみのついたカレーライスは各家庭でも一般的に作られるようになり、現在のように国民食となっていった。

 

 

 

 

尾鷲の町の《ポストのある風景》です。

 

 

 

中央町、郵便局前。

 

 

 

 

 

向井、夢古道おわせ前。

 

 

 

 

 

同所。

 

 

 

 

 

北浦町。尾鷲神社前通り。

 

 

 

 

 

宮ノ上町、宮之上小学校前通り。

 

 

 

 

 

矢浜。

 

 

 

 

 

矢浜。

 

 

 

 

 

中川。旧黒潮寿司・ツタヤ前。いまは取り払われてありません。

 

 

 

 

 

上野町、尾鷲総合病院前。

 

 

 

 

 

中央町、尾鷲市役所前。

 

 

 

 

 

 

JR尾鷲駅前。

 

 

 

 

 

朝日町。旧新町。

 

 

 

 

 

朝日町。イシブチ薬局前。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こちらは紀北町相賀、JR相賀駅前。