焼夷弾慰霊碑 | 長良川 大好き 釣り blog        

焼夷弾慰霊碑


  焼夷弾の慰霊碑と呼ばれていますが実は陸軍100キロ爆弾でした

 かねてから、不思議に思っていた各務原市神置町の慰霊碑の上に乗っている
米軍M47 100ポンド焼夷弾と呼ばれる爆弾について「全日本軍装研究会」の方と地元の田中さんの協力を得て調査をしました。

戦没者の慰霊碑に敵国の爆弾を乗せるとは考えにくく疑問に思っていましたが念願がかなって本日現地で計測して頂き結論がでました。
旧陸軍 100kg爆弾でした。
私も触ってみましたが100ポンド焼夷弾より弾殻が厚く明らかに爆弾でした。
また 弾体前部分に炸薬を装便するネジ切りがしてあり、前部で分割できます。
現地での調査の様子

 

 

弾底信管も付いていましたが当然火薬は入っていませんよ。信管には小さなプロペラが付いており落下する時に回転して安全装置が解除される仕組みです。


地元の方には建築時のエピソードなど聞き取り調査をして頂き
爆弾の入手経路も分かりました。
近くの川原で投下された物を回収して戦後に利用したとのこと。
尾翼、飛行安定板には落下時に損傷があったらしく
修理がされていました。

寸法や状態は後日に明記いたします。
ネット等では焼夷弾と認識されていますが
今後 この情報は関係向きにも発信予定です。

また同日 調査を試みた 航空宇宙館西側ホッケー場の近くの山すそにある
複数の防空壕とそれらを繋ぐ無数のトレンチについては雑草が枯れる冬場に
再調査を予定しています(各務原飛行場通信施設)。

クリック→       各務原空襲 昭和20年7月30日  (グラマンF6FとTBM3)



追記  2016/10/02
  岐阜空襲で投下されたM47型焼夷弾(岐阜市立中央図書館にて撮影)
不発弾として回収されたもの。投下の衝撃により変形しています。
懸垂フックとベルトも違います。燃焼材を入れるケースですから叩くとカンカンと音がします。
通常はJR岐阜駅構内の資料館で展示されています。