{1C41F412-1D55-4BEC-8D9E-999432860B46}


市議会で発行する「議会だより」5月1日号の予算特別委員会のページに「ほとぎのさと」の文言が何度も出てきたので、編集委員会で「ほとぎのさと」について改めて勉強をしました。

長久手南部の丁子田と市ケ洞の窯から出土した須恵器に「ほとぎのさと」と刻まれており、奈良県明日香村の遺跡でも「ほとぎのさと」と刻まれた須恵器が出土しているため、飛鳥時代に長久手の窯で焼かれた須恵器が当時の都飛鳥へ運ばれていたということだそうです。長久手で出土したこれらの須恵器10点は、平成24年に市の指定文化財になりました。
    
「ほとぎのさと」の「さと」は、「五十戸」と書いて「サト」と読み、「ほとぎ(=焼き物)」という名前の集落だったようです。律令制度では、50戸を1つの集落として数えていました。「ほとぎのさと」は、現在の長久手南部から名東区猪高町上社井堀にかけての地域だったそうです。

なぜ議会だよりに何度も「ほとぎのさと」が出てきたのかの真相は、議会だより5月1日号でご確認ください。