今日の朝日新聞 telling,さんの書評コラムでは、壇蜜さんの『エロスのお作法」について書きました。



この本は、いわゆる、どうすれば男性に愛されるかについて書かれていて、
しかも、男性を立てる、男性が喜ぶことをする、を指南している本なのですが、

驚くほど、そこに「媚び」はありません。


人が喜ぶことをして、しかも尽くしまくるのに、なぜ「媚び」がないんだろう。

そう考えながら読んでいたとき、「なるほど、壇蜜さんは、どれだけ相手が喜ぶことをしようとしても、自分が主語である人生を生きているからだ」と気づきました。


つまり、私がそうしたいから、あなたに尽くす。
あなたに尽くすことで、私が、得たいものを得る。
という考え方だからだなあと。

この「主語を自分にする」という考え方は、とても大事だと私は思っています。

たとえば、保育園がいいかとか、幼稚園かいいかとか、ときどき論争になりますが、
大事なのは、主語を子どもにしないことだなあと私は思っています。

論争になるのは、主語を子どもにするからだなあって思うんです。

「子どもの教育、情操、愛情形成……etcにとって保育園(幼稚園)のほうがいいから」と考えるから、正解がなくて紛糾します。

でも、「私にとって保育園(幼稚園)がいいから」と、主語を自分にした瞬間、誰かと争う必要はなくなる。

誰かに口出しされる必要もなくなるし、誰かに口出すする必要もない。

誰かのために、ではなく、
私のために、という主語の使い方、
私はとても好きなんだけど
壇蜜さんは、まさにそういう方でした。

よかったら、コラムも読んでくださいね。

んでは、また。
さとゆみでした。

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