おはようございます、ヘアライターのさとゆみです。今朝の花粉は殺人的ですね。



以前、東日本大震災の時に、東京の企業が被災地にどんな支援をしたかについて、取材をしたことがあります。

2014年のことです。ちょうどその時、3年半ぶりに福島原発の横を通る国道6号が開放され、帰宅困難地域に立ち入ることもできるようになった時でした。

浪江駅前の自転車置き場には、3年半前に並べられたその時のままの状態で、自転車が並んでいました。


いまは無人となった街を、コーディネーターの方が案内してくれます。

震災直後から復興支援に尽力されているその方自身も、この町に入るのはまだ、2度目だそう。

運転をしている彼が、ぽつりと、
「どの街にいっても、美容院と床屋が何軒もありますね」
と、言いました。
「そうですよね。日本には信号機の数よりもたくさんの美容院があるんですよ」
と、答えると、彼は驚いていました。
たしかに、人口数千人と言われる街にも、複数の美容院や床屋の看板が見られます。


陸前高田では、学校の体育館で避難生活を送っている人たちに対する、ボランティアをまとめていた人に話を聞きました。

その方は、こんな話をしてくれました。

「東京をはじめとする、いろんなところから、被災直後にボランティアの人たちが駆けつけてくれました。

けれども、あまりに悲惨な状況を目の当たりにして、足がすくんでしまい、動けなくなってしまう人もいました。中には、パニックになってしまい、ボランティアをする前に帰られた方もいます。

ご家族を失った方々に、どう話しかければいいのかわからない。被災者の方たちと話すのが怖いと体育館には入れない人もいました。



そんな時に、被災者の人たちにすっと近寄って、その体に触れ、そっと寄り添ってあげることができる人は、美容師さんが多かったんです。

乱れた髪を洗ったり整えたりしてあげながら、美容師さんたちは、自然に被災者の方達の言葉に耳を傾けていました。

多くのボランティアの人たちが、彼らと対峙することが怖い、何を話していいのかわからないと苦しむ中で、美容師という職業のすごさを感じました。あの方たちは、凄まじい人間力をお持ちですね」


まだ震災の爪痕がなまなましく残る場所で聞いたこの話を、わたしはずっと忘れないと思う。





今日の読売新聞に、こんな記事が載っていました

仲間に会えるヘアサロン 競争激化で差別化



綺麗にしてあげることだけが、美容の力じゃないし、美容師さんの技でもない。

私たちは、美容師さんと話をしながら、人生を預けているんだなぁ、と、思うのです。




んでは、また。

さとゆみでした。



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この取材をするきっかけとなったのは、お手伝いしたこの本でした




わたしが心から尊敬していた、若くしてお亡くなりになった女性美容師さんの一生を書かせてもらった本はこちら。

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