【出会えた人から震災の後、これからを考える】
きょうは、青森県八戸市で水産加工の会社を経営している鎌田尚さんのお話です。
「震災前までは、一匹狼、何事も一人でマイペースにこなすタイプだったんですよ。だけど津波がきて、それではだめだと思った」と始めに鎌田さんが話してくれた。
震災から二年、津波で流された会社を立て直し、今は会社の経営や商品作り、顧客のネットワーク作りなど何か工夫はできないかと様々なことに取り組んでいる。
例えば、その一つが、動画にまとめた会社の企業理念。VTRでは、働く一人ひとりが登場し、キャッチボールをするようにボールを回しながら、企業理念を順番に説明していく。商品を作っている人の顔が見える会社紹介だ。作業着を来ている人もいれば、はにかんだ笑顔も見られる。
(鎌田さん「一人一つの企業理念を説明する予定が、あとから見直したら一人だけ二回出ていた社員がいたんですよ 笑」)
壁には「ないものをつくれ」、本田宗一郎氏の言葉だという。全てここからがスタートだと頑張ってきた。
水産加工の業界では、美味しさはどこの会社も追求をしている。少しでも違いをだそうと思ったら、どれだけ鮮度を保ったまま早く届けられるか。その日の作業を惜しまずとった魚を素早くフリーズして加工食品にする。TPPなどで流通の幅が広がろうとも、攻めの姿勢でパイプを作り生き残る会社にしたい。全ては現場にあり、常々上を目指すというのも企業理念の一つだ。
二年が経った震災についてもお伺いした。
忘れられないんだけど、忘れたい。
できればその日は、日本に居たくないと思っている。
3月11日鎌田さんは、会社を離れていた。
津波の第一波、第二波で海のすぐそばの会社も被害を受けた。
翌12日、会社で働くお兄ちゃんたちから(やんちゃな従業員だそうだ)電話がかかってきて、「きょうもやるんですよね?」と聞かれ、鎌田さんは、思わず「やる。」と答えた。
「あれが、『やるんですか?』だったら、やめにしようと思っていたし、『今日はやめにしよう』と言っていたと思う。でも、やる気持ちがあるからやった」
震災の翌日、その電話の後、お兄ちゃん達は、来るのも困難な道を泥だらけにして集まってきた。
それから、600回、700回電話をかけ続け、発電機を持ってきて、震災から4日後には加工をしていた。やるんだ!という強い思いから、いきりたった時もあった。今は、ようやく社員一致団結できているような気もしている。社員に自分が応援されていると思う出来事ばかりだった。
震災は、いつくるか分からないものだから、またどこかに来るかもしれない。
でも助けてもらったことは、忘れない。
話をきいて頷くだけで応援になると思うからと、震災のお話を聴かせてただいた。
最後に社長の信念が伺えた、こんなお話も紹介したいと思う。
「新年に初詣に行って神様にお願いするというが、あれはお願いするんじゃない、一年を誓うってことなんだ」
鎌田社長、ありがとうございました。