近親相姦の否定は不合理である。
自分と違う意見をくださること自体はありがたいものですし、私は批判に対しては基本的に真摯に受け止めその都度意見を見直すのですが...
突き付けられるのは私が既に持っている視点であることが多く、私の中でその視点に対する回答が既に完成している、ということがほとんどなのです。
というわけで、批判を受けつつもなぜ私が近親相姦を肯定し続けているか。
よくいただく批判に対する返信という形で、私の意見をまとめました。
これが一番よくある批判です。
まず、私は「近親姦」の全てを認めているわけではありません。
「相姦」、砕いて言えば「合意の上でのセックス」であることを前提としての肯定です。
そして当然ですが、私がここでいう「合意の上でのセックス」には「準強姦」に相当するものは含みません。
泥酔させたり、相手を脅したり、その他相手との関係性を利用したノンバーバルな圧力を利用したりして相手からYESを無理やり引き出した上でのセックスを、日本の法律は「合意の上でのセックス」「準強姦罪」として強姦罪と同じ罪の重さで扱います。
強姦および準強姦に相当する家庭内での近親姦は間違いなく性虐待であり、どうあがいても相姦と呼べるものではありません。
勿論これに関しては肯定するつもりは全くありませんし、近親相姦を肯定したところで強姦は強姦、虐待は虐待であることに代わりはありません。
(2)「近親相姦を認めたら虐待親が言い訳に使うじゃないか!」
1の批判とセットでよく来る批判です。
準強姦であり加害者が被害者を脅迫している関係にあると、加害者が相姦であると主張すれば被害者は泣き寝入りになってしまう、ということです。
その通りですね。近親相姦が公に認められれば、家庭内性虐待加害者がそうした言い訳を用いてくることは大いに考えられます。
近親相姦をタブーとする風潮が性虐待加害者を裁く上で有効に働いていることは事実でしょう。
しかし犯罪を裁くことができれば、その手段として何を犠牲にしてもよいのでしょうか。
「男性が男性に強姦される事件は一向に減らない。被害者が警察に相談しても馬鹿な話だとされ追い払われてしまい、泣き寝入りとなってしまっている。ならばもういっそ男性同性間のセックスを禁止にしよう」
...もし、レイプの撲滅を理由にその種のセックスすべてを禁じてしまえば、このような言論も同様に成り立つでしょう。
泣き寝入りの問題においては、むしろ一般的な準強姦の判定の強化を強め、その実数を減らしていく方略を考えることが筋であると私は主張します。
準強姦のより正確な取り締まりは、一般的な性犯罪だけでなく、家庭内性虐待の抑制にもつながるでしょう。
(3)「未成年の子と親の相姦はありえない!」
この言論が誤りであることは総合的にロジックすればすぐわかることです。
たとえば。
一般として、未成年者同士での相姦はありえることです。
生まれて初めて愛する相手とセックスをする年齢が未成年であることなど、少ないことではないでしょう。
ですので、未成年者と成人との相姦もありえることです。
未成年者が特定の成人を性愛の対象として見ること、また、成人が特定の未成年者を性愛の対象として見ることも、もちろん少ないことではありません。
そして、親子間での相姦はありえないことなのでしょうか。
それも恐らくNOでしょう。
なぜ「恐らく」なのかと言えば、私は親子間での相姦についての生の声を聞いたことがないからですね。
しかし「当事者の話を聞いたことがない」「身近な人から当事者であることをカミングアウトされたことがない」ことは「存在しない」ことの証明にはなりません。
そのような言論は、未だに一部の中年のお偉いのおっさんが言っている「わが社に同性愛者など存在しない」と同レヴェルです。
互いに愛し合ってセックスする親子が、この広い世の中、いないってことはまずないと思いますよ。そう考えるのが自然です。
それを否定することは、上記のおっさんの同性愛否定と同じことです。
さて。
未成年者-成人間の相姦は成り立ちうる。
親-子間の相姦も成り立ちうる。
であれば、「未成年の子と親の相姦」は当然ありえます。
恐らく絶対数は少ないでしょう。
しかし、近親相姦についてのタブーの意識から、近親相姦をしている人の中でも、それを公にしていない人が大多数でしょう。
同性愛者等と違い、家族内で成立するため、他方でコミュニティを作る必要も、出会いを求める必要もない。
偏見も相俟って、カミングアウトが必要となることが本当に少ないのです。近親愛者はセクマイ以上にマイノリティと言えるでしょう。
(4)「性虐待被害者に近親相姦の話をするな!セカンドレイプだ!」
これに関しては過去記事「セカンドレイプ」 をご覧ください。
(5)「奇形児が生まれるリスクが上がるじゃないか!」
だからなんでしょう。
全ての人間が子作りのためだけにセックスするようなドライな存在ではありませんよ。
この言論に則れば同性間でのセックスも無意味なことですし、性病感染リスクの高い男性同性愛者同士のセックスはさっさと取り締まるべきでしょうね。そしてブサイクな人は子どもがブサイクになって不幸になってしまうから子孫など残すべきではありませんね。
一応ちゃんと返信するならば、奇形児が生まれるリスクというのも実際は微粒子レヴェルで、近親姦で生まれたきょうだい同士が近親姦して...みたいなのが3,4回繰り返されて、やっと現実的な可能性になるようなもののようです。
一世代目では、この点においてはほぼノーリスクといえるでしょう。
(6)「道徳に反している!」
だからなんでしょう。
同性愛とて以前は道徳に反したものでした。
...いや、未だに反していると判断する人も多いでしょう。
「同性愛は認めるが近親愛は認めない」
そんな「道徳」はただの「俺ルール」です。
そして、大衆に認められない言動イコール間違いではありません。
(7)「想像させるな気持ち悪い!」
だからなんでしょう。
ええ私も私の親族と相姦なんてありえませんよ気持ち悪い。
「気持ち悪い」と「他者のそれを認めない」とは全く別の話です。
自分が気持ち悪いと思うから世間から排除するべきだなんて、全能感もいいところですね。
(8)「親を悲しませるようなことを認めさせるな!」
きょうだい間での近親相姦について、たまにある批判です。
では親のために不本意な相手を選び、その相手とセックスして家庭を築くことが正しいのでしょうか。
第一、親が悲しむかどうか、ってことも、その親に依ります。
何度も引き合いに出して申し訳ないのですが、子どもの同性愛を認めない親だって未だに大勢いるわけです。そうしたケースについてもこれと同じように考えられますね。
自分の恋愛について最後に答えを出すのは自分であり、そしてその意思は尊重されるべきだと私は考えます。
「未成年者には判断能力がない」も、おかしな話だと思います。
未成年者の判断能力については個々の発達の程度もあり、一概に語るべきではないでしょう。
「成年ならば判断能力があるのか」、という話にもなります。
刑法176条の強制わいせつ罪は、13歳未満の者にわいせつな行為をした場合、または13歳以上の者に対し暴行または脅迫を用いてわいせつな行為をした場合に適用されます。
(「小児性愛」のDSM診断基準も基本的には13歳以下です)
私の意見はおおかた書けたと思います。
この私の言論を受けての意見、また別の角度からの批判等があれば幸いです。
長くなりましたが、お読みいただきありがとうございました。
佐藤