5月11日に発売された、

『Depth EDITION 02』




髙地優吾くん初の単独表紙……
ということでなのかな?


重版出来となっており、
中々、手に入らなくなっているようですね。




そして。

その雑誌には、

つい先日、

初公演を無事終えた、
『wakA-Zcre』の町田慎吾くん、屋良朝幸くんのインタビュー記事も掲載されているよう。
(私は、ちらっと見かけただけで…雑誌は手にしていません)



そこで、

町田くんが、
 ちらりと『心友』のことについて、

話をしてくれるようで────








自分たちのスタイルの、
エンタテインメントを意識して目指すようになったきっかけは?

と質問された中で、
こう話してくれていたよう。



町田くん
「自分自身が目指したいという意味で意識したのは、心友が大好きでよくビデオとかを貸してもらって観てたマイケル・ジャクソンかな。あんなステージができたらすごいなって」



そっか。

智くんから借りて観るうちに、


町田くんも、

同じように、
そこを目指すようになったんですね。





ラジオで、
智くんはよく町田くんの話をしてましたよね。



『親友』ではなく『心友』だと………





嵐になってから、

何度か、

雑誌の取材では、
町田くん達MAとの企画を望んでいた智くん。




あの時、

「嵐としてデビューする」

と、
昔からの仲間に言えないままに、
智くんがデビューすることになって………



町田くんは、
2000年に一度事務所を辞めたんでしたね………



そこで、
何かを語られた訳ではないので……


真相は分からないまま、と、記憶していますが。



色々と思うことがあったのだろうな……と、

その心中を、
想像するぐらいはできる。

 



けれど、

その後、
事務所にもう一度戻ってきた町田くん。


場所は与えられたけれど、
そこは所謂、2軍のような場所で……



やりたい気持ちとは、
大きく溝を開けた現実に、苦しむ町田くんに。



🔵「結局、町田は何がやりたいの?」

と、
聞いた智くんに。


「本当は、もっとお客さんに自分のダンスや舞台を観てもらいたい」

そう素直に答えた……という町田くん。


🔵「それなら、もう一度頑張るしかないね」


そう。

自分が望むなら、

そこへ行く為にできるのは、
頑張ることしかないんですよね……





そこから、

MAとして、
初単独ライブができるまでに、
なったけれど……


2012年だったかな?

そんなMAが解散したのは……




その後、

2015年の4月に事務所を再び辞めた町田くん。



智くん宛と思われる、
webで残した言葉も、

当時、
智くんファンの間で話題になってましたね……


私も、
当時読みに行った────






さとしさん…から始まる、
不自然な程、ひらがなで書かれた文字。



縦読みすると、
『さようなら』という言葉を残して、


町田くんが9年前に辞めた事務所。






今回の雑誌の中で、
そんな事務所のことを話しているところが、

あるようで───



「大切な仲間だったり、心友と出逢った本当にかけがえのない時間でもあったから…」



と、
振り返っていたよう………




出逢うことができたことは、

きっと、
何より大きいこと……なんですよね。





9年前フリーになって、2つの夢を目指した。

一つ、叶えました。

屋良朝幸とのプロジェクト。


夢は諦めなければ、叶う。

そう信じて歩み、実現しました。
もう一つも、必ず。





いつか、
また一緒にやりたい……

と、
ずっと言っていた2人。


 


時が流れ、
時代が変わって、


今だからできることがある………




 
そんな夢が、
いつか叶う日もくるんだろうか………