2009年3月号『日経トレンディ』にて、

特集されていた嵐さん。



苦節10年、
「嵐」が愛される理由



ここでは、

嵐さんのことを話す、
ジュリーさんのインタビューを少し、と。


翔くんの言葉を、
残したいな……と、思います。
(珍しく、ちゃちゃっといきたいと思います!)





本当に、
時間がかかった子たちなんです。

上には先輩グループが何組もいて、
下からもどんどんデビューしてきて。


(ポニーキャニオンと)
思うように意思の疎通が図れなくなったとき、
文句を言うより自分たちで責任をもって手がけた方がいいと考えて、新しい会社を作りました。

職業作家の先生にお願いして、
その人のカラーの強い曲をいただくより、

新人でも無名の人でもいいので、

いろいろな曲を集め、
その中から一番、
嵐に合ったものを選ぶ方法にしました。


映画の出演依頼が来ると、
役柄や番手はやはり気にします。

ほかの出演者とのバランスを考えると、
やらせてみたいけど引き受けられないということもあるんです。

でも、
自分たちでつくればそれを気にせず、
『お勉強期間』にやらせてみたい役を与えられる。

(『ピカ☆ンチ』『ピカ☆☆ンチ』『黄色い涙』)松本や相葉がすごく変な役をやってもファンは許してくれるでしょう。


ほかのグループと比べて、
強い個性やカラーをもつグループではなかった。

だから、
いろんな冒険をさせやすかった。





時間のかかった子たち。


この言葉に、
ジュリーさんの思いも感じられる………


そんな気がする、
どこか温かい言葉だな……と、思う。



合ったものを選ぶ……






確かに。

嵐さんは、
他のアイドルグループに比べると、


ガツガツ感がなく、

特に、
デビューしたての頃は、


何かに突出して、
目立つようなグループではなかったんだろうな……

と、思う。




私が、
嵐を好きになったのも、

彼らが、
アイドルらしくない、

普通の感覚の人達、と、感じたから…… 


というのが、
始まりだと思うから。





合ったものを選んでもらったから。


今の嵐があるんですよね………








そして。

こちらの雑誌で、
翔くんが語っていたのは、

『HERE WE GO!』のツアーの時の、


あの時のことで──



あのツアーのとき、
5人で毎晩集まって、明け方まで話し合いました。

嵐って何なのか。
嵐はこれからどうすべきなのか。

CDデビューする前から
活動していたグループと違い、
僕らはW杯バレーボールのイメージキャラクターとしてCDデビューすることを前提に集められたんです。

グループの土台を、
自分たちでゼロからつくっていかなきゃいけないのに、それがないまま来てしまった。

そのことにようやく気づいたんです。


事務所や周囲は、”波”をつくってくれてる。
でも俺ら全然乗れてねぇじゃん。


話題は一過性のもの。
知名度につながらないんです。


5人の中に
同じキャラのやつが2、3人いても仕方がない。

それぞれがいろんな方向性の仕事をして、
5人集まったときに「嵐」になる。

そういう形にしたいねと。

今思えばスッカスカの浅い議論なんですが、
5人であれだけ話し合ったのは、
あの時だけでした。





自分達で、
そういったことに気付いて、

嵐をどうしていくべきか───



そんなことを、
20歳そこそこで、

彼らは考えていたんですよね………





この後、

少しずつ、

嵐は、
変わっていったのかな………と。



当時は、
まだファンでもなく、

何となく、
深夜番組で観ていただけの彼らを思い出し、

思う。





確かに、
時間はかかったのかもしれないけれど。



でも、
彼らはいつも楽しそうで………






そんなところが、
今も変わらないから────




彼ら嵐が、

あの頃と、
今、形を変えていても───



好きなんだろうな……と、思う。