本日はニノの入所日ですね。



ニノのお誕生日から2日後に、

入所したニノ。






興味のなかった芸能界。



いとこに、

寝癖のついたままの写真を撮られたことから、

ニノの人生が動き始める────






野球の試合がある日のオーディションに。


お母さんが言ったという、

『5000円あげるから行きなさい』は。




わが子が直面しているいろんなこと。



少し違う世界を知ることで、

何かが変わる………


そんなきっかけになるかもしれない……



そう思ったんだろうな…と、やっぱり思う。






少し、

智くんと似てるんですよね。



自分で履歴書を送った、

翔くん、相葉ちゃん、潤くんに対して。




智くんの場合は、

履歴書を送ったのはお母さんで、


ニノの場合は、

履歴書を送ったのはいとこの女の子。




2人とも、

行く気もやる気もなかったのに。



お母さんに、

強く、

オーディションに行くように言われる───





自分発進ではない為、

まるでやる気はなかったけれど。




親には親の考えがあって。




そこに感じるのは。


ただ、

子供を芸能人にしたい……という、

そんな親の顔ではなく。




環境や現状を鑑みて。


子供に感じる無限の可能性を信じて。





今、

立つ場所とは違う。


『こっちにもこんな道があるよ』


そんなことを、

知ってもらう為に────






親が、


何より、

望んでいるのは、



子供の笑顔と幸せだけだから…………






履歴書を送ってくれた、

いとこの女の子がいて───


オーディションに行くよう、

説得してくれたお母さんがいて───




私は、

ニノを知ることができました………




ありがとうございます。








1994年10月の智くんから始まり。


1年後、

1995年10月に翔くん。


そして、

そこから7ヶ月後に潤くん。




嵐、4人目は。




智くんから、

およそ1年8ヶ月後にやって来た。




いつの間にか定着したメンバーカラー。


黄が似合う人──




すごい量のお仕事をこなしていても。




辛そうに見せることなく、


いつもどこか、

所在なげな様子を漂わせている人───





自分自身が、

ピタリと嵌る、


そんな場所なんて、

家族以外には、ないだろう…………



そう思っていただろう、ニノに。





1999年9月15日から。


別の、

嵌る場所ができた─────






それが、嵐で………


4人のそば。





今、

中々、

会えなくても。



心は繋がっていて。



手を伸ばせば、

その手を握ってくれる人達。






ニノが、

今も、愛してやまない嵐。





その1人でいてくれること、

その1人で居続けてくれること、


ありがとう。





世の中に溢れる黄色の中で。






ニノが。



これまでも、

これからも、



ずっと、ずっと、


私の中で、1番輝いているよ───