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中国の建国の父である毛沢東氏を評して、中国の知識人は
「功7:罪3」
という表現をする。
中国と言う国家を、外国から解放し、軍閥をなくして統一した
ことに対しての功績は高いが、
大躍進政策の失敗で大量の飢饉を招いたこと、
自身の権力回復のために、知識人の大虐殺を行った
文化大革命などによって、晩年の行動については大きなマイナスで
、すなわち罪3であるということだ。
文化大革命は毛沢東氏の死、四人組の逮捕、鄧小平の軟禁解放から
開放経済によって終わった。。
元々、毛沢東氏は、「難解な話を分かりやすく伝える言葉のプロ、すなわち
政治のプロであり、経済については非常に弱かった」
明らかに、中国の当時は経済政策の大きく舵を転換すべきであったが、
自身の権力低下におびえてか、上記のような背景を無視し、極めて個人
的な理由によって文化大革命を四人組を表に活動をし、中国中を大混乱
に陥れた。
このように晩年を汚してしまった。
同じように、中内功氏は、日本の流通を改革し、主婦の味方として世の中を
大きく変えた、名の通り、「功」多き人だ。
しかし、同じように晩年は自身の権力保持のためか、力の衰えを自ら自覚
出来なかったためか、最後は自主再建が出来ないところまで追い詰められた。
やはり組織構成員の生活を守る以上、「リタイア時期を間違えた」ということで
経営者としても「罪」が重い。まさに毛沢東氏と同じ「功7:罪3」であろう。
当時、大量流通大量薄利販売、駅前立地出店主義で急成長をしたダイエー
にとっては大きな環境変化がおきていた。
コンビニと郊外ショッピングセンターの出現だ。
日本が豊かになり、安さよりも車を使った郊外型の生活スタイルや利便性、
個性を大切にする消費感が業態の可否を決める時代になってきた。
しかし、すでに最新の環境をキャッチする感性か生活スタイルか、もしくは
土地を買ってしまい、有利子負債で動けない財務的な制約条件か
はわからないが、結果としては、巨大な恐竜であるダイエーは、
環境の変化に対応できず、業績を悪化させながら、それでも創業者の中内一族
が中枢を握り続け、最後は、中内功氏とともに沈んでいった。
人には得意不得意分野がある。
時代によって、自分自身の能力も変化していく。
そして、マーケットも変化していく。
経営が環境変革業である限り、その環境を的確に分析し、適切な対策を
打たないといけない。
その環境についていけなくなったときは、権力の座から降りないといけない。
これが公である権力者の最低限のルールだ。
松下を改革した、中村邦夫氏はいう
「経営者しか出来ない仕事は、何をやって、何をやめるかだ」
その言葉どおり、事業だけでなく、社長の座も改革の目処がつくとともに
あっというまに大坪氏に譲ってしまった。
「経営者が環境にあわせて引いていく(引退する)」
これも一つの名経営者である条件かもしれない。
そんなことを考えた一日であった。
明日も頑張ります!!
本日の感想
車部品の商社をやっている社長とお話をさせていただいた。
昔は、車はお金をもらって引き取っていたが、今は、どんなに
ぼろい車でもお金を払わないといけないから大変だと
話をされていた。
経営の環境というのは、どの業界でも変わっているのですね・・・
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