不快な、ある意味つまらなく、無駄に長い記事です。
時間がない方は、スルーしてください。
裁判は検事がかく、もしくは弁護士が書く物語が、
いかに真実めいてるかの判断により、判決が決まる、
のかもしれない、そんな印象を持ちました。
中学1年男児の身体を43ヵ所切り殺害 加害少年3人の素顔
真冬の冷たい川辺で、中学1年の少年が全身43ヵ所をカッターで切られ、殺害された。
名前は、上村遼太君といった。
後日逮捕された加害者は、17歳から18歳の少年3名。2月の凍てつく深夜、
3人はくだらない勘違いから遼太君を多摩川の河川敷に呼び出し、
命ごいを無視して代わる代わる切りつけ、川で泳がせ、コンクリートに頭を打ちつけて殺害したのである。
あの凄惨な事件から、今月で6年(事件は15年2月に発生)、つまり遼太君の七回忌を迎えることになるl。
被害者,遼大君の父母がどのような人だったか
神奈川県の川崎区は、東京と隣接した工業地帯として知られており、昔から大勢の外国人労働者が暮らしていた。
遼太君の両親はともに川崎の出身だった。
父親は高卒で配管工の仕事をしながら、よく地元のスナックに飲みに行っていた。
その店でホステスとして働いていたのが遼太君の母親だった。
母親は別の男と結婚して長男をもうけたがすぐに離婚。その後スナックの常連客だった彼と再婚して、2001年に生まれた次男が遼太君だった。
両親は4人の子供をつくって千葉の公団住宅で生活をはじめる。
だが、母親の金遣いの荒さから、カードローンの借金で一家の暮らしは立ち退きを迫られるほど苦しいものになった。
裁判所に出向いて支払い計画を出すも、再び浪費から家賃を滞納して家を出ることに。
そんな時に見つけたのが、島根県隠岐諸島にある西ノ島での漁業の仕事だった。
一家6人で西ノ島に移住したが、ここでも生活はうまくいかない。両親は慣れない肉体労働や孤立感から夫婦げんかをくり返し、
しまいには虐待の疑いで児童相談所に長男を保護された。
母親は5人目の子供を妊娠中だったにもかかわらず、離婚した。
◆家から遠のくようになった理由 その後、母親は介護施設で働いたり、生活保護を受けたりしたが、5人の子供を育てるのは難しかった。
そこで彼女は遼太君が小学6年生の時に、実家のある川崎へもどることにした。
遼太君や長女は引っ越しを嫌がったそうだ。
川崎に来た遼太君は、持ち前の明るさで友達を増やしたが、家庭には問題があった。
生活保護をもらうために実家を出て家族だけで暮らしはじめたところ、母親がそこに新しい彼氏を連れ込むようになったのだ。
多感な思春期の遼太君が複雑な思いを抱いたのは想像に難くない。
7人がひしめく狭い集合住宅からだんだんと遠ざかり、ゲームセンターで知り合った先輩らと深夜までつるんで遊ぶようになった。
寂しさをまぎらわしていたのだろう。 そんな時に出会ったのが、加害者の少年らだった。
続きは最後部
さて、話は裁判へ移りますが、上記文中の父親と、裁判で登場する父親とでは、明らかに人格が乖離しています。
裁判での人格は、検察が作り出した人格であり、
加害者の人格も弁護士による、ある意味「架空」でしかないことが、想像されます。
裁判の記録をお読みください
中1男児を43回切り殺害…加害少年3人へ父親が残した慟哭の声
2015年2月20日未明、神奈川県川崎区の多摩川の河川敷で、上村遼太君という中学1年の少年が殺害された。17歳~18歳の少年3人に、全身43ヵ所をカッターナイフで切られ、真冬の川に複数回にわたって入れられ、命を奪われたのだ。
この痛ましい事件から、ちょうど6年。今年で七回忌を迎えることになる。 私はこの事件を描いたルポルタージュ『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』(新潮文庫)で、遼太君の父親の悲しみに満ちた慟哭の声をインタビューした。その一部を記したいと思う(以下、カッコ内の発言は同書から一部引用)。
事件の被害者となった遼太君は、笑顔のかわいい男の子だった。
なぜ、こんな子が殺されなければならないのか。
そんな同情とともに事件は一躍脚光を浴びた。
発生から約1週間後、警察に逮捕されたのは3人の少年だった。
これを機に、メディアやネットでは加害少年たちの身元を暴くようなことが行われた。
加害少年たちは高校を中退し、毎晩のようにつるんで万引き、賽銭泥棒、バイクの転売といった非行をくり返していた。
一部のメディアは、これが川崎の荒れた土地柄だと言わんばかりに、イスラム国(IS)をもじって「カワサキ国」とまで報じた。
また、主犯の少年Aと少年Bはフィリピン人の母親を持つハーフであり、家族写真や自宅住所まで流出した。
ネットの住民たちは彼らに対するヘイト的な書き込みをし、家の塀にもカラースプレーで「フィリピンにかえりたい」と落書きをした。
こんなふうに誹謗中傷が飛び交った事件だったが、凶暴なハーフの子たちが起こしたものというイメージは正しいのだろうか。
遼太君の父親の意見は違う。
彼は自分自身も川崎で生まれ育った経験から、こう語ってる。
〈ネットの連中は少年Aと少年Bの母親がフィリピン人だったことをことさら強調しています。
水商売のフィリピーナの子供だから、あんな残酷なことをできたんだって語調で。
本当に関係あるんですかね。
僕が通っていた中学にも外国人の子はいました。
でも、付き合えばみんなごく普通の子です。
外国人の子だって日本人と同じように、変わった子もいれば優秀な子だっている。
僕の意見を言えば、彼らが事件を起こしたことと、母親がフィリピン人だったことなんてほとんど関係ありません。
じゃあ、なんで事件が起きてしまったのか。
僕が言うと語弊があるかもしれませんが、これに尽きると思うんです。
――遼太の運が悪かった〉
◆残酷な性格になった理由 世の中には人を殺すことを何とも思わない人間がいる。
そういう人間とたまたま出会ってしまった遼太君が「運が悪かった」というのだ。
裁判で明らかになったのは、3人の冷酷な殺害方法だった。
彼らは遼太君を裸にし、代わる代わるカッターナーフで切りつけた。
全身は血に染まり、嗚咽の声を上げていたはずだ。
それを無視して首を中心にひたすら40回以上も切りつけて殺したのである。
裁判で弁護士は、そんな加害少年たちを必死に守りつづけた。
加害少年たちは虐待や育児放棄の経験から、残酷な性格になってしまったわけで、それを踏まえれば罪を軽くするべきだとしたのだ。
父親はそれに対してこう憤る。
〈弁護士は、少年Aが父親から虐待を受けたことによって人間形成がうまくいかなくなって、あのような凄惨な事件を起こしたというようなことを主張していましたよね。
でも、僕からすれば、あんなの虐待とは言えませんよ。
父親が物分かりの悪い少年Aに対して正座をさせたり、叩いたりするのは、しつけの方法としては真っ当です。
虐待とは別です。
少年Aの家庭には殺人を正当化させるような甚大な問題はなかったと思っています。
家もあるし、学校だって行せてもらっている。
事件後に流出した家族の写真だって、幸せそのものだったじゃないですか。
一家でバーベキューをしたり、花見に行ったり、父方の祖母と母方の祖母が仲良く出かけたり。
家には大きなクリスマスツリーまで飾られている。
それなのに、弁護士たちは少年Aの罪を軽くするためだけに、両親の体罰を指摘し、日本語での会話が成り立っていなかったと言った。
弁護士はなんだってああいう言い方をするんでしょうかね。
本気で長時間正座をさせたことが殺人に結びついていると思っているのでしょうか。
もしそうなら、ほとんどの殺人は情状酌量に値するものになってしまいます〉
◆〈本当に更生するんですかね〉 裁判で少年Aと少年Bは反省の言葉をほぼ口にすることがなく、少年Cにいたっては「何もしていません。
無実です」と言って裁判中に度々薄ら笑いを浮かべていた。
父親からすれば、そんな少年たちをかばって情状酌量を求める弁護士の神経が信じられなかったのだろう。
少年事件であっても、刑事裁判の最高刑は死刑だ。
父親は加害少年たちがそうなることを願っていた。
しかし、裁判官が下した判決は、中学1年生の少年の未来を永久に奪ったものとしてはあまりに軽かった。
少年A 懲役9年以上、13年以下。
少年B 懲役4年以上、6年6ヵ月以下。
少年C 懲役6年以上、10年以下。
遼太君は永遠に誕生日を祝ってもらえない。家族も同じように祝うことができない。
しかし、少年たちは数年間少年刑務所に入っていれば、その後自由が待っているのだ。
父親は判決について語る。
〈(父親の)弁護士からは死刑は難しいだろうと言われてきました。
今の裁判では過去の判例が基準になるので、無期懲役にさえならないだろう、と。
判決は、弁護士の予想通りでした。
主犯の少年Aですら、13年です。おとなしくしていれば、20代で出てくるでしょう。
判決には、これっぽっちも納得していません。
一連の裁判の流れを見ていて感じたのは、「更生ありき」で話が進んでいるということです。
少年刑務所に一定期間収容して、作業をやらせたり、何かしらのプログラムを受けさせたりしさえすれば、人間は善人に変わるという、何の根拠もない前提があるように思うんです。
彼らは本当に更生するんですかね。
すべての受刑者が少年刑務所に入ったからといって善人になるんでしょうか。
僕はそうは思わない。
殺人は、万引きやちょっとしたケンカなんかとはまったくちがうものです。
やる人間とそうでない人間の差は大きい〉
◆少年院を出て再犯率は22%
統計によれば、刑務所を出た後に、再び犯罪に手を染めるのは2人に1人とされている。
少年院にしたって5年以内の再犯率は22%だ。
こうしてみると、少年刑務所に入ったからといって、少年たちが更生するとは限らないという指摘は間違いではない。
ならば、なぜ裁判所は少年たちに懲役刑を下して幕を閉じようとするのか。
そこに父親が感じる大きな矛盾がある。
彼はつづける。
〈3人の殺人者は、懲役の期間、税金で食べさせてもらっていればいいだけです。
少年刑務所の中には、クリスマスも正月もあるし、高校卒業資格や就職に必要な資格も丁寧な指導を受けながら取ることができる。
そう考えると、
彼らにとっては、社会でフリーターをするより、よほど有意義な時間をすごせることになる。
遼太がどうなったかを考えてください。
何かしたわけでもないのに、単なる勘違いから無残な方法で命を奪われ、クリスマスを迎えることも、学校へ行くこともできなくなった。
二度と人生を楽しむことはできないんです。
家族、とりわけ遼太のきょうだいだって同じです。
事件後、家族みんなで引っ越しをし、隠れるように名前を変えて生きているといいます。
毎年、遼太の命日には事件のことを思い出して苦しむでしょう。
一番下の子の誕生日と遼太の命日は同じなんです。
会社に入る時も、結婚をする時も、事件のことを気にしなければなりません。
一生涯にわたって事件の重荷を背負っていくことになる。 これが「正しい判決」だと思いますか? そう言える人間がいたら馬鹿ですよ。
少なくとも、僕には狂っているとしか思えません〉
父親は判決を正当なものとはまったく認めていなかった。
判決が出た直後で興奮していたこともあったが、父親はもはや司法に期待する気持ちは微塵もないと言い張った。
その無念さは、次の言葉に表されている。
〈今、僕の胸にあることを正直に言います。 3人が刑務所から出てくるのを待って、個人的に復讐をするしかないと考えているんです。
絞首刑みたいにいっぺんに殺したいわけじゃない。
あの3人に遼太と同じ思いを味わわせたいんです。
真っ暗な河川敷につれていって全裸にしてやりたい。
命乞いを無視して、カッターで43回体を切り刻んでやりたい。
立てないほど衰弱させてから真冬の川で泳がせてやりたい。
まだ息をしているのに、足蹴にして川に落とし、闇の中に放置してやりたい。
「もう殺してくれ」 そう泣いて頼むまで痛めつけてやりたいんです。
今は裁判官に死刑判決を下してほしいとは思っていません。
その代わり、僕が遼太と同じ目にあわせて、その苦しみがどれだけのものかをわからせてやる。
それが、加害者が自分の犯した罪と向き合う、あるいは償うということではないでしょうか〉
言葉の本当の意味を理解するには、拙著『43回の殺意』を読んでいただきたい。
ただ、今言えるのは、父親が本当にこの言葉を実行に移すかどうかは別にして、これこそが判決を聞いた直後の父親の正直な気持ちだということだ。
逆に言えば、遺族にこれだけの言葉を口に出させるほど、子供を惨殺された無念は大きいのだ。
だとしたら、少年事件をどう裁くべきなのか。
少年にいかなる罪を科すべきなのか。
もう一度考え直す時期に来ているのではないだろうか。
私は必ずしも重い刑罰を下せばいいと言いたいわけではない。
更生の方法も含めて、今ある形が正しいかどうかを検討する時期にきているということだ。
あの残酷な事件から6年。
遼太君の死は今なおそうした問題を語り掛けているように思えない。
取材・文:石井光太 77年、東京都生まれ。ノンフィクション作家。日本大学芸術学部卒業。国内外の文化、歴史、医療などをテーマに取材、執筆活動を行っている。著書に『「鬼畜」の家ーーわが子を殺す親たち』『43回の殺意 川崎中1男子生徒殺害事件の深層』『絶対貧困』『レンタルチャイルド』『浮浪児1945-』などがある。
最上部記事の続き
読む必要はないと思いますが一応掲載いたしました
加害者の少年は、少年A(事件当時18歳)、少年B(17歳)、少年C(18歳)の3人だ。主犯のAとBはフィリピン人の母親と日本人の父親の間に生まれたハーフ。Cには発達障害の傾向があった。 3人のうち、AとCの家庭環境はあまり良くなかった。Aは父親に暴力をともなう体罰によって育てられ、Bは水商売の母親から育児放棄同然の扱いを受けて育った。 AとBは家庭の事情もあり、小学生の頃から学校に順応できなかった。同級生たちからハーフであることをからかわれ、時には暴力を受けたり、パシリにされたりした。 Aは学校にも家にも居場所がなく、いじめられっ子や不登校の子が集まるイトーヨーカドーのゲームコーナーに通うようになった。そこで同じような弱い立場の子供たちとグループをつくってつるみだす。そんな中で知り合ったのがBだった。 ◆立場の弱い人間へ暴力 中学卒業後、Aは定時制高校に進んだ。その頃から、彼はグループの気弱な少年たちを相手に不良ぶるようになった。煙草を吸い、酒を飲み、年下の子に暴力をふるっていきがる。かつて同級生の不良に自分がされたことを、立場の弱い人間にしたのだろう。 AはCと同じ定時制高校だったため仲良くなったが、硬派な不良のいる学校では存在感を示せずにそろって中退。Bも通信制高校をすぐに中退した。 こうして3人は学校という枠から離れ、ほとんど毎日のようにグループでつるむようになる。神社の賽銭を盗む、万引きをする、バイクを盗んで転売するといったことをくり返し、その金でゲームセンターやアニメに没頭した。グループの仲間の1人はこう話していた。 「夕方に会って、深夜2時とか3時までずっとゲームしている感じ。会話もゲームのチャットでした。たまにアニメを見ながら鏡月(焼酎)を飲むとかあったけど、Aは酒に酔うと超めんどくさくなって暴れた。みんなからウザがられていたよ」 社会からドロップアウトしていたとはいえ、元々いじめられていた気弱な少年たちばかりだ。家に集まってゲームやアニメをしていても、みんな目を合わせて話をするのが苦手で、ディズニーのぬいぐるみを介してしゃべり合うこともあった。 孤独な少年たちが空虚な疑似家族をつくり上げていたのだろう。そんな少年たちが、ゲームセンターで偶然知り合ったのが不登校になりつつあった遼太君だった。 Aたちは遼太君ら中学生を引き連れて夜遊びをしていた。 ◆Aがつけた言いがかり 事件は、そんな中で起こる。 ある晩、Aは酒を飲んだ勢いで言いがかりをつけ、グループ最年少の遼太君に暴力をふるう。後日、遼太君の中学の不良の先輩たちが偶然知り、それを口実にしてAに恐喝をした。Aは遼太君が不良グループに告げ口をしたのだと勘違いし、再び酔った勢いで遼太君をリンチしようと決める。 2月20日未明。AはB、Cを従えて遼太君を多摩川の河川敷に連れていく。最初は殴るくらいにしようと思っていたのだが、Cから「これでやりな」と作業用カッターを出されたことで収まりがつかなくなり、遼太君を裸にして切りつける。 Aは血だらけになった遼太君を見て、「もう殺すしかない」と考える。数ヵ月前に酔った勢いで一般人相手に暴行事件を起こして保護観察処分になっていた上、遼太君に対するリンチがバレれば不良グループから報復されると思ったからだ。 だが、臆病な彼は致命傷を与えることができず、仕方なくBやCにカッターを渡して切りつけさせる。遼太君は血だらけになって「許してください」と言ったが、ことごとく命乞いは無視された。 3人がかりで切りつけたものの、気が弱く誰も致命傷を与えられない。そこでAたちは遼太君を川へ泳がせることを決めた。2月の冷たい川に入ればおぼれ死んでくれると思ったのだ。 遼太君は複数にわたって川へ入れられたが、死ななかった。出血が激しく低体温症にもなり、もうろうとしていたはずだが、生きたいという思いがつよかったのだろう。 そんなことを2時間前後くり返した。ずぶぬれになった全裸の遼太君の体には、首を中心にすでに40ヵ所以上の切り傷が刻まれていた。Aはそんな遼太君を見てついに覚悟を決める。そして首にカッターの刃を突き立てた。遼太君は「あああ!」と叫んで動かなくなった。 Aたちはこれで終わったと胸をなでおろし、遼太を全裸のまま河川敷に放置し、衣服を近くの公園のトイレで燃やした。そしてみんなでCの家にもどり、朝までゲームをやりつづけた。 驚くのは、その後に彼らが見せた非情さだ。彼らはゲームの世界に現実逃避したのか、まったく殺害のことについて触れることはなかった。そして逮捕される1週間もの間、一度もそれについて言葉を交わさなかったのである。 ◆希薄な加害少年たちの関係 事件を取材していて感じたのは、少年たちの関係の希薄さだった。逮捕後の裁判で、少年たちは自分たちの関係性についてこう言った。 「僕らは友達だと思っていません。暇つぶしの相手でした」 彼らは何日間もほぼ毎日のように会い、時には半日以上一緒にすごして、殺人事件まで起こした。にもかかわらず、お互いのことを寂しさをまぎらわせるための「暇つぶしの相手」でしかなかったと言うのだ。 なぜなのだろう。 少年たちの家族や気持ちについては拙著『43回の殺意』をお読みいただきたいが、彼らは劣悪な環境や学校から逃れるためにグループをつくっていただけで、そこで信頼関係を構築することも、自分をさらすことも、何よりお互いを大切に思う気持ちもなかった。アニメやゲームで時間がつぶせればよかった。 だからこそ、取るに足らない理由で、相手の気持ちさえ考えることなく、自己中心的にここまで残酷な事件を引き起こすことになったのだ。 むろん、どんな家庭環境であったとしても、Aたちの犯罪は決して許されるべきではない。 ただ、全国の少年院を取材していると、こうした少年犯罪が非常に多いことを思い知らされる。少年院の法務教官はこう語った。 「昔の不良は気骨があって信頼関係で結びついて社会に反抗する不良というイメージでした。でも、今は同じ場所にいてもネットやゲームでつながっているだけで、信頼も尊重もなく、些細なことで何とも思わずに相手を傷つける子供が増えています。お互いの間に気持ちが通っていないので、痛みつけることを何とも思わない。だから大人が何を言っても、心に響かないし、反応もしないんです」 こうした少年たちは「反社会」ではなく、「非社会の少年」と呼ばれている。社会に存在するのに何ともつながっていないという意味だ。事件ルポにも書いたように、その背景には貧困、虐待、差別、依存、障害といった様々な理由がある。 国はAたちのような少年を厳しく裁く必要がある。ただ、今の日本の社会には、こうした少年たちが、まるで地下水がわきでるように出現する要素をはらんでいる。そんな中で、もぐらたたきのように罰を与えるだけでは根本的な解決にならないのも事実だ。 この痛ましい事件から、今の若者たちが抱えている問題、そして解決策をきちんと考えることが必要だ。
若者が抱える問題もだが、裁判にも(大人が抱える)問題)があるようだ
真実と判決とが乖離している。
本当に裁かれるべきは、誰か
被害者には寄り添うことが少ない。。。。。。
罪に問われることがない父親や母親は反省するのだろうか
子供が、子供そだてているんだよね。