福島県浪江町も「脱原発」方針 建設計画推進から転換
東北電力が2021年度運転開始を目指す浪江・小高原発(福島県浪江町・南相馬市、出力82万5000キロワット)の建設計画に対し、馬場有浪江町長は21日、計画を前進させない方針を明らかにした。福島第1原発事故を受け、桜井勝延南相馬市長も既に「脱原発」を打ち出し、立地2市町が従来の推進方針を転換する見通しとなった。
馬場町長は同日、定例町議会一般質問で答弁し、「昭和42(1967)年に誘致を議決した議会を尊重する立場であり、(転換は)手順を踏まえ決断したい」と語った。その上で「計画を進めないということか」と問われ、「その方向でいい」と認めた。
理由に関して馬場町長は「雇用や地域振興に重要と考え、誘致に取り組んできたが、事故で安全神話が崩壊した。多くの人が大変な中で新規立地は世論上、大変難しい。総理は寿命が来たものの廃炉を表明し、県の流れも同じ」と語った。
馬場町長は議会後の取材に対し「できれば町議会には誘致を白紙にしていただいた上で、国や県とも相談し、再生可能な自然エネルギーの拠点を誘致していくのがいいんじゃないかと思う」との考えも示した。
吉田数博議長は、今後の対応を「定例会後に協議したい」と説明した。
1955年(昭和30年)に人口約28,000人を数えた浪江町も、過疎と財政難に悩まされ、その打開が必要であった。1960年(昭和35年)頃、福島県が原子力発電所を誘致するに当たり、浪江町も候補地となるが、同じ双葉郡の双葉町と大熊町に跨る地域に決まり、福島第一原子力発電所(東京電力)として開所する。
一部抜粋
酒や女といったスキャンダル暴露合戦を賛成派と繰り広げ、
「東北電力がM資金を利用して原発を建設しようとしている」
「石油枯渇論はCIAの世論操作による虚構」
「地域の委員関係者に東北電力から裏金が出ているという噂」
などを世に訴えたという
(M資金(エムしきん)とは、連合軍最高司令官総司令部(GHQ)が占領下の日本で接収した財産などを基に、現在も極秘に運用されていると噂される秘密資金である)
私は、読んでいませんが、以下のような著書も出版されているようです。
『原発に子孫の命は売れない-舛倉隆と棚塩原発反対同盟23年の闘い- 』
(1991年 七つ森書館)
反対運動の歴史が本に浪江・小高原発農民らの姿を描く |
東北電力が計画している浪江・小高原発に23年間建設反対を訴え続けている、双葉郡浪江町の棚塩原発反対同盟(舛倉隆委員長)の歴史をまとめた本が「原子力の日」の26日、東京の出版社から刊行された。伝来の土地と農業を懸命に守ろうとする農夫らの姿が描かれている。 『朝日新聞』福島県版1991年10月27日より |
浪江町・・・
恩恵を受けても受けてなくても、被害は同じ。
チェルノブイリは、25年過ぎた2010年現在もなお、原発から半径30km以内の地域での居住が禁止されるとともに、原発から北東へ向かって約350kmの範囲内にはホットスポットと呼ばれる局地的な高濃度汚染地域が約100箇所にわたって点在し、ホットスポット内においては農業や畜産業などが全面的に禁止されており、また、その周辺でも制限されている地域がある。
浪江町の皆さんが我が家に帰れるのは、いつのことになるのだろう。
「原爆といういわば“悪魔”から、原発という“落とし子”が生れようとしていた。」